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《夢儚散文37瞑想迷走阿吽記》

壊れた魂を修復しなければいけない。
そう思い立って、瞑想を始めようと思った。
瞑想とはなんぞや‼︎
この世界に多様を極める瞑想スタイル。
座る瞑想、祈る瞑想、踊る瞑想、絵を描くことも、歩くことも、食べることも、全て瞑想であるみたいな…っておい‼︎
生きる事が瞑想そのものじゃないか!
すでに瞑想していたのか?
…と思うがそうではないとも言えるし、そうとも言える。
意識し始めれば瞑想であり、漫然と生きていれば瞑想ではないとも言える。
意識をする事で、世界線が変わる。
意識をしていない世界線、意識をしている世界線。
悟りを探している意識。悟りを探していない意識の違い。
目線の違い。
瞑想によって得ようとするもの。
自己への気づき。自己を満たすこと。むしろ自己が無くなっていくことの方が瞑想によって向かう道なのか。
自己と言う執着からの解放。
執着があるから人は悩む。
そもそも悩むことすら諦めて受け入れた場合、悩みと言う影は無くなり、穏やかなものとなるのか。
悩まないことが光として捉えると悩むことが影となるその二元論を超えることが光も影も生まない執着無き世界なのか?
いや、その考えにこだわり始めると実は執着を産み始めたりもするのか…

堂々巡りの問答が頭の中でぐるぐると旋回し、答えを求め過ぎること、答えに執着している気がして、あ、そんな事どうでもいいか!今を味わおっととなるが、今の味わいってどこから生まれているんだろうと考え始めるとまた収集がつかなくなり、諦め、考えを止めた時に、ハッと脱力してしていて、これか‼︎、これが悟りか‼︎、なんて掴んでしまうとそれはいつかは手離れてしまうものとなり、そんな不完全さを認め、ただ私になった瞬間は空であるような感覚もあれば、すぐに在るもの無いものに囚われてしまう…

ただ、瞬きの中のもの。
私の認識の世界。

今、今、今、今…

私の今の瞬きの中に在るもの。



あ…そんなことで瞑想してみようか…

う〜ん…瞑想をすでにしているとも言えるのか…

あ〜う〜ん

#夢儚散文
#小説
#短編小説
#ショートショート

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