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《夢儚散文10 蜘蛛の意図》

部屋の天井から一本の蜘蛛の糸が垂れていた。ソファに寝転がりながら、ふっと息を吹きかけると蜘蛛の糸は静かに揺らめいだ。

玄関が開いてイロがいつものように何も言わずに上がり込んできた。目の前のソファに座ると、彼がよくやる仕草で、額を鷲掴みして長い黒髪をかき上げながら話を始めた。
「ダダが行方不明らしいんだよね。お前知ってた?」
「え、どう言うこと?」
僕がそう言うと、イロは黒縁眼鏡の奥にある細い目を開く表情をしてから、胸のポケットに手を入れタバコを取り出した。
タバコの煙を吸い込み頭上に煙を吐くと蜘蛛の糸が揺らいでいるのが見えた。
「全然大学来ないからアヤが家にいったらしいんだ。アパートの鍵が開いてたみたいで、玄関開けていくら呼んでも出て来ないからさ、死んでるかもと思って部屋に上がってみたんだって。そしたらさ、机の上に黒い蜘蛛の絵が書いてあったんだって。その蜘蛛の尻の先から赤い毛糸が伸びていて、締められた押入れの中へ繋がっていたみたいでさ。アヤはビビりながらも開けたんだって。そしたらさ、押入れの中が真っ黒に塗られていて、アルミホイルを固めて作った人形に赤い毛糸がに巻きつけてあったんだって」



3ヶ月ほど前、几帳面に反った坊主頭で干物のよう痩せたダダと帰りの学バスが一緒になった。ダダはいつも同じ白いYシャツ姿に白いズボンを履いていた。
ダダと言うあだ名はウルトラマンに出てくる怪人と目が血走った感じと唇の厚さ、表情を変えないところが似ているとのことで入学してすぐそう呼ばれていた。
座席の隣に座るとダダは何も語らず、じっと前を見ていた。
「ダダは課題の作品は出来た?」
美術大学の中間講評会まであと2週間。
作品を作っている姿を見たことが無いので聞いてみると、ダダは僕の方へゆっくり顔を向けると小さな声で「出来てない」と呟いた。
独特なキャラクターのダダがどんな人間なのか興味があった僕は詮索を始めた。
「作品は家で製作しているの?」
バスに揺られたダダは軽く頷いた。
「どんな絵描いてるのか知りたいな」
僕がそう言うとダダはズボンのポケットから小さなメモ帳を取り出した。
メモ帳を開くと黒と赤のボールペンで写実的なタッチで女郎蜘蛛が何枚も描かれていた。
「おぉ上手いね。蜘蛛が好きなの?」
そう聞くとダダは首を振った。
「え、それじゃ逆に苦手とか」
ダダは表情を変え、焦点があっていない眼差しで僕を見つめると一言「嫌い」と言った。
「何で蜘蛛がテーマなの?それ知りたいな」
僕の詮索に対して、少し眉をひそめ珍しく嫌そうな表情を見せた。
「あ、無理に答えなくてもいいよ。好きなもの描けばいいだけだもんね」
僕は表情の微妙な変化を感じたので、すぐに話題を変えようとすると、ダダが突然大きな唇の口を開けた。餌を求める鯉のようにパクパクと何度か口を動かしてから静かに語り始めた。
「巣に引っ掛かったら獲物は糸に巻かれて捕えられてしまう。身動きが出来ずに生きたまま食べられてしまう。それを想像すると恐ろしい。そんな死に方したくはない。神はそんな殺し方をする生き物を生み出した。神は意外と冷酷なのかも知れない。そんな蜘蛛の存在が気になっている」
ダダは一定のリズムで畳み掛けるようにそう話した。
「お、珍しく喋った」
僕がそう言ったとき、学バスが停留所へ着いたので僕らは別れ、それぞれの家へ帰った。



「あいつ元々ちょっとオカシイじゃん。そんな光景を見ちゃったアヤはさ、気味悪がってはいたものの心配になって実家へ電話をかけたんだって」
イロはもう一度タバコを吸うとすぐに灰皿で火を消した。
「よく電話番号分かったね」
「番号壁に貼ってあったんだって、それで実家の両親も連絡取れてないみたいでさ、かれこれ1ヶ月ぐらい経っちゃているんだって。捜索願いはもう出しているみたい」
イロはそう言い終わると立ち上がり、台所へ行ってヤカンに水を入れお湯を沸かし始めた。
「その家の中の状況はどんな意味なんだろう。ダダのことだから何かしらのメッセージを残したんだと思うんだよね。イロはどう思う」
「う〜ん、そうだな。そう言えばおまえさ、この間の中間講評会のときの出来事覚えているか?」



長テーブルに並ぶ4人の教授陣に悔しいほど作品を酷評された後、僕が作品を片付けていると、ダダが30センチ角ほどの作品を3点壁に立てかけてた。

「おい、これ課題のサイズより小さいんじゃないか?」
ある教授のその言葉を聞いてもダダは黙って椅子に座っていた。
「まぁいいじゃない」
一番年老いた教授は立ち上がり、首にぶら下げていた老眼鏡をかけながら作品に近づいた。そして静かに3点の絵をじっと眺めた。
ほとんど同じ構図で描かれた女郎蜘蛛の銅版画。
「この赤い色は何で塗っているのか?」
エッチングと言う腐食技法で製作され、髪の毛ほどの細い線の重なりで写実的に描かれた女郎蜘蛛。その体に着色された赤色を教授は指を指していた。
ダダはその教授の方へ目を向けた。
その無感情な眼差しは冷凍庫の中で凍っていた魚のようだった。

椅子に座りながらダダは握られた左の手を持ち上げ、ゆっくりとこちらへ向けて開かれるとその手のひら一杯に十字型の傷がついていた。血液が固まった瘡蓋が生々しく残っていた。
教室がざわめいた。
その教授は老眼鏡をおろし、肉眼でダダをじっと見つめてた。少し間を置いてから静かに語った。
「自分の血だと思ったよ。ぼくもね。キミぐらいの歳の時にやったことがあるんだよ。僕の場合はね血だけで絵を描いたね」
静まり返った教室に、その年老いた教授の言葉が鼓膜を震わせる。
教授は言葉を続けた。
「ただね。歳を重ねたジジイが今言えることはね。自分を大事にしなさいと言うことだ。母親と何があるかは知らないがね。母も不完全な人間である事を忘れないでやってくれ」
ダダはその言葉を聞くと開いた手のひらを握り締めてから膝の上においた。
その教授は座っていた椅子に戻ると最後にもう一度作品を見つめて言った。
「ただ描くことを続けなさい。以上」



「自分の血の色を使った女郎蜘蛛の作品を見て、母親に何かがあるってくだりがあったね」
僕がそう言うと、イロはマグカップにインスタントコーヒーを入れお湯を注ぐと、元いたソファへ座った。
「メサイアコンプレックスって言葉知っているか?」
「メサイアってたしかメシアのことだよね。救世主コンプレックスってこと?」
「そう、いわゆる毒親ってやつがさ、自分の信念や価値観を正義として子供に押し付けまくって精神的に束縛していくやつでさ、本人は救済していると信じてやっているわけよ。それが子供のアイデンティティに問題を与えるってやつね。ダダの母親ってそんな感じだったのかなって思ってさ」
イロはそう言い終わるとコーヒーをひと飲みした。
「あの押入れの中のアルミホイルの人形ってのはダダ自身。あいつ母の束縛と愛情との葛藤みたいなものがあったのかな…」
「講評会の後から大学には来ていないよな。あの教授の言葉でアイツのココロの蜘蛛の糸が切れたのかもしれない。失踪したら母親がまずあの部屋を見るはずだろ。あれは母親へのメッセージだったのかもな…」
イロはそう言い終わると天井を見上げた。視線の先にはあのぶら下がっている蜘蛛の糸があった。沈黙の中、僕らはそれを眺め続けた。

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