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《夢儚散文19 丁横丁3》

続き

ちゃぶ台の下で猫が鳴いた。
顔を出すと祖父とそっくりな顔をしていて、あのちょび髭に見覚えがあったことを思い出した。
白い取り皿に私を乗せてみた。
黒い羊水から取り出された全裸の私は死んでいるのかピクリとも動かずに横たわっている。
祖父顔の猫が私の隣にちょこんと座ると、眉毛をひそめながら言った。
「夢は追いかけているのか?お前はどこへ向かって歩いているんだ?」
同じ問いを成人式の時に言われたことを思い出した。
あの時は真面目に答えずにうやむやな返事をして誤魔化していた。
特に人生に夢など今まで持ったことも無く、虚無的に命の時間を過ごしているのは分かっていた。自分から逃げるために酒に溺れ横丁へ出向き、刹那的に独りで梯子酒をしていた。
「今も僕には何もありません。何をしていいのかが分からない。ある意味生きるために働くだけの人生の奴隷の様な気持ちで生きている。でもそんな悪いことじゃ無いだろう。諦めることで生きていられるんだ自分は…」
そんな言葉が私から漏れた。

祖父は少し優しい表情をして言った。
「お前と言うカタチが邪魔をしているんじゃないか。だからそれを食べなさい」
猫の手が祖父の懐かしい右手に変わっていた。仕事が休みの日は畑仕事や日曜大工をよくしていたのでマメとヒビ割れのある分厚い手。その手がお皿に乗っている私を指差している。
私は全身の血が逆立っているのを感じた。思い返せば過去の振る舞いには悔しさしか無かった。それすらも沢山の言い訳で自分の部屋を埋めていた。
それは言葉のゴミ屋敷となり生きづらい環境になっていたのだが、見て見ぬふりを続けていた。そんな自分に嫌気が差しながらも諦める事で私を維持していた。
老婆も言った。
「さぁ温かいうちにお食べなさい」
老婆の丸眼鏡の中にふたりの私が映り混んでいた。今、私はふたりいる事に気づいた。

思いっきり両手で私は私を掴み喰らい付いた。
私は随分とカビ臭く、何年も洗って無い枕のようなすえた臭みと血の味が口の中で暴れた。
頭の中の白蛇が溜まりに溜まった言葉と言うゴミを私と一緒に咀嚼を繰り返していた。
咀嚼すればするほど言葉が消えていく。
咀嚼すればするほど私が消えていく。
そして私を呑み込んだとき、頭は真っ白となり、その余白を眺めていると、随分と言葉の重みを背負って生きていたことに気づいた。
「今までろくな人生じゃ無かったな。ロクが足りて無かったんだよ。これからは六で生きるんだぞ」
祖父がそう言うので、私は聞いた。
「六って何?」

その言葉を聞いて老婆と祖父が同時に首を揺らして笑った。
ポケットの中のコケシまで笑い始めるので、取り出して見つめ合い、ただただ笑った。
こんな思いっきり笑えたのは子供の時以来な気がした。

風が吹いた。
天井が飛び、壁も吹き飛んで、老婆も祖父も、ちゃぶ台も全てが風に巻かれて空の彼方へ飛んでいった。
私の目の前には白い余白と、手に握られた「アナタ」と書かれたコケシだけが残っていた。

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