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《夢儚散文8 胸の穴》

微細な七色の粒子が輝く蔓植物は見渡せる限りに地面を覆っていた。それは足に絡まりやすく私の歩みを妨げていた。
雲ひとつ無い夕陽が沈む空が、どことなく寂しげに見えたので、5本の指に赤、青、黄色、緑、紫の絵の具をつけ大きな円を描いてみることにした。
そこに水滴を垂らすと水彩絵の具のように色が滲むと夕陽と色が混じり合った。
色彩が重なり合った滲みにある空を見て、そのまま空に溶け込みたいと思い、両手に絵の具つけて体に塗りたくった。
そして空からこぼれ落ちてくる水滴を一滴一滴感じ、色彩と共に私はこの世界と次第に同化していくことを全身で感じた。

巨大な黒いカラスが茂みの中から顔を出した。
何度か顔を振ってあたりを見渡してから、私の方へ向くとチョンチョンと跳ね飛びながら近いてきた。
見上げるほどの大きなカラスは目の前までくると翼を大きく広げた。視界は色を失い世界は漆黒に染まった。
カラスは空を見上げあくびをしてから私の胸を大きな口ばしで軽く突いた。そして黒い水晶のような瞳を近づけて静かな声で囁いた。
「その胸の穴はどうするんだい」
そう言われて私は首をもたげ自分の胸を見てみると、手のひらほどの丸い穴が開いていた。
「これは…」
カラスと同じ色をした黒い胸の穴。
恐れを感じながらもその穴への好奇心からそっと手を入れてみた。手のひらは宙を舞うだけで何も掴めるものは無かった。
その姿を見ていたカラスは肩を震わせて笑った。そして私の顔に大きな瞳を近づけて言った。
「底無しの胸の穴。どうやって埋めるんだい」
瞳の中に魚眼レンズ状に歪み、天地が逆さになった私の黒い影が写り込んでいるのが見えた。

今までの人生の記憶が真っ黒なカラスの胸に小さな映画館のスクリーンのように映し出された。
すぐに思い出せる記憶は、恋人に浮気され捨てられたことや仕事での大きなミスで大勢の人に迷惑をかけたこと、友人に借りた車をぶつけてしまったことや溺愛していた猫が車に轢かれて死んだことなど暗い物語だらけだった。

ダムが決壊したように大粒の涙をしながらその映像を見ている私をカラスは静かにじっと見つめていた。
「穴を埋めなくては…」
私が今思い出せるこの世界の明るい記憶を、地面を掘りながら必死に探した。
我武者羅に、手の皮が剥けるほどに土を掘り進めていくと、子供ときに無くした恐竜の人形が出てきた。そのとなりには大好きだった犬のぬいぐるみも出てきた。
「君たちのこと忘れていたね…」
私はそれを胸の穴に入れた。
さらに掘り進め、様々な思い出のカケラを掴んでは胸の穴へ放り込み、掴んではまた胸に放り込んだ。
日が暮れて夜空には星が静かに輝き始めていた。
たまに疲れては空を見上げ、胸の穴が少しづつ埋まってきている気がしてひっそり笑った。

夜明けが近づいてきた頃、穴を埋めるために掘り続けた大きな穴の底から手鏡を発見した。
子供の時に世界をひっくり返してみたり、たくさんの表情を作り写しみていたあの手鏡だった。
土を拭って鏡を覗き込むと3歳頃の私が無邪気な笑顔で笑いかけていた。
私は顔中についた土を必死に拭ってから一緒になって笑い、さよならの挨拶をしてその手鏡を胸の穴へ放り込んだ。
胸の穴は静かに姿を消した。

朝日が登り始めていた。
雲ひとつ無い空がゆっくりと青みを増していく。見上げると巨大なレンズのように澄んでいて綺麗だった。
色の無い世界が光とともに鮮やかな色が帯びていく。
あんなに歩きにくかった地面の蔓草は七色の砂と変わり、小さな植物の芽がひとつだけ生えていた。

じっと見守っていた黒いカラスは朝日を浴びながら翼を広げるとまた大きなあくびをした。
そしてもう一度私を見つめると大きく震え始めた。
パラパラと地面に黒い羽根が落ち、崩れるように黒い羽根の山となった。

空を見上げた。
またそこには何かが足りない気がして、両手の指に絵の具をつけて空に大きな虹を描いた。
地面に大の字に寝転がりそれを眺めながら泣きながら笑った。
黒い羽根の山から小さな真っ白な鳩が現れた。
毛繕いをしてから私を見つめ、見覚えのある大きなあくびをしてから朝日へ向かって飛び去っていった。

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