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《夢儚散文22 終息へと向かう刻を越えて》

樹海に漂う冷えた湿度と夜風が運ぶ木々と土匂いが安ウィスキーの喉を焼くようなアルコール臭さと一緒に鼻を通り抜けた。
満月の明るさで木々が細密な切り絵のようなシルエットとして浮かび上がり、見える世界が随分と平面的に感じるので、私の存在が絵の一部にでもなっている錯覚があった。

死に場所を求め、酒の力を使ってここまで歩いて来たのだが、酔いとこの樹海と言う環境のせいなのか他人の物語のような気がして実感が無い。

「今日やっと死ねるな」
誰もいない樹海で呟いてみた。
声は小さな虫の羽ばたきのように闇夜へ消え失せた。私のそんな囁きを聞いても、この世界は何も変わらずにただ静まり返っている。

この世に生を受けて、思い出せる一番古い記憶は祖父と祖母の困った顔だった。
両親は夫婦喧嘩の末に激昂した父が母を刺し、その勢いで父は首を括った。そんな部屋で保護された私。
幼少期から荒れに荒れていた父と祖父は絶縁状態だったのだが、唯一の身内という事で、私は引き取られていた。
そんな父とそっくりな顔つきなもので、祖父母は困った顔をしていたのだろう。

存在理由なんて思いつかなかった。自分自身も父親に似て、人を困らせる事でしか表現出来なかった事は今更ながら反省すべきこと。そんな後悔も今後しないで済むと思うと気楽な未来が待っている気もした。
とは言え死ぬ事は初めてのことなので、怖くない訳はないはずなのだが。

樹海に入ってからどのくらいの時間が経過しただろうか。身分が分からないように初期化しておいたスマホを開いて時間を確認すると22:22の数字が見えた。
これは何かのラッキーメッセージか!なんて思うほど楽観的ではない私の思考は、この半年ほどで氷結した鉄の塊のようで、触るとくっ付いて凍傷になるほど人を寄せ付けず、冷め切った心は無感動さが支配していた。

もうかれこれ2時間ほど歩いているのか。
散々迷惑かけて来たので、最後ぐらいは誰にも迷惑をかけず私は死に、世界は何事も無かったように日常が続いていくことを願っている。反出生主義なんて言葉を最近耳にしたが、私はまさに共感しかなく、幼少期から生まれて来なければ何も苦しまずに済んだはずなのにとよく思っていた。

ウィスキーも底を尽きそうなので、そろそろ丁度良い木を探す事にした。
「ロープがかけやすい枝はどこだ〜♪俺にとどめを刺してくれる木はどこだ〜♪」
普段人前では絶対しなかった鼻歌はお酒で酔うと家で独りで歌っていた。
繰り返し歌いながら、彷徨っていると大きな木が目の前に現れた。

根本にはウロがあり、それが女性器のように思え、これからする事は母の子宮に戻るための儀式なのかも知れないと前向きな気持ちが湧き上がった。
リュックを降ろし半年前に購入していたロープを取り出した。ネットで調べ何度か家で練習した結び方。後は枝に結びつけるだけで、準備完了と言う感じだ。
「なんで生まれて来たんだか♪誰にも頼んでいないのに〜♪なんで生まれて来たんだか〜♪」
太い枝の下に大きな石があり、背伸びをしたらロープを巻き付けられそうだ。

ウィスキーをラッパ呑みした。
喉が焼けるほどの粗悪なアルコールが胃を熱くし、脳を麻痺させる。その荒い酔いが私の世界を唯一安堵させてくれる。
これは母乳かも知れないな、なんて思っていた事もあったっけな。

「さぁ終わりの刻だ」
ペルソナとしての衣服を全て脱ぎ全裸になる事にした。
服なんてものにはなんの執着も無かったのでいつも無地の黒を選んでいた。
そんな黒しか選べない私ともおさらばできる気がした。
「裸で生まれ、裸で死ぬ。母なる大樹に抱かれて〜♪ 」
陽気に笑いながら服を乱暴に脱ぎ捨てた。
靴は闇へ向かって思いっきり投げつけると何度か転がる音がして力尽きた。
「最後に随分といい詩が生まれたな…」
愉快な気分で胸が高鳴った。

コケの生えている石に登った。
少し背伸びをしながらロープをかけると、ジワッと体に汗が滲んでくるのを感じた。
吊るされたロープの輪を前にして、私はふと空を見上げた。都会では見られないほどの無数の星が輝いていた。
その美しさに涙が溢れた。
この世界に無感動だった私が死に際で涙を流すとは。むしろ死に際だからこそ美しく見えているのかも知れない。
少しの間、夜空を見上げていると一つの流れ星が見えた。
それは星の死のように思えた。
日々この世界では生と死がありふれていて、その無数の流れ星の名前なんて誰も知らずにこの世界から静かに消えている。
今の私と同じ境遇な気がして、唯一この世界で出来た友達な気がした。
「さぁ、俺もそろそろそっちへ行くよ」
ロープの輪に頭を通したとき、子宮へと向かっている気がした。そして、私は涙と共に空へ舞った。

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