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《夢儚散文48 死線の視線》#掌編小説

◻️

やっぱり人って死ぬんだな。
今、人生で初めて心底死を味わっている。
交差点に横たわる首の無い俺の体をちょっと離れて俺が眺めているのだから。

昨日、コンビニのバイトで10回目の遅刻したら、店長にもう来なくていいってバイトクビ宣告。今日、暇になったから山へ渓流釣りにでも行くかと、朝からバイクで走っていたら、人生が首になっちまったわけだ。

駆け寄って来る女がいる。
あぁ俺好みの綺麗な女だ。
足も腕もあらぬ方向へ曲がっている俺の体を美女がじっと見つめてる。
あぁ〜そんなに見つめちゃ嫌っ!
恥ずかしいっとの感情が湧いてきた。あれ、突然の出来事で頭がオカシクなっているのかも知れない。あ、人生で死んだの初めてだから、こんな感じなのかなとふわふわした思考が脳内を巡る。

美女がピンク色の口紅のエロティックな唇を両手で抑えて、キュートな瞳を大きく開いて叫んだ。

「救急車、誰か早く救急車を‼︎」

そして、美女は慌てた形相で周囲を見渡している。
探しものは多分俺の首であろう。
俺はここだ。美人な姉さん。もうちょっと近くに寄って欲しい。顔をじっくり拝んでみたい。

俺は湖に空がそのまま映り込むほど一切波のない水面のように心が落ち着き払っている。
死ぬ間際にエンドルフィン、ドーパミン、セロトニンなどの脳内麻薬がドバドバ出ているのか、むしろ心底穏やかな多幸感に包まれている。

世界ってこんなにも美しかったのか。
俺の視覚は印象派のルノワールの名画のようなふんわりとした筆のタッチで光と自然の印象を描き出し、凄惨な事故現場にほのぼのしたお花畑が加筆されて咲き乱れ始めていた。
死の解放感恐るべし!
脳内麻薬恐るべし!

俺の首を発見してしまった美女が叫び声を上げているけど、俺の目線では象徴主義のグスタフ•クリムトの名画かよ!と突っ込みを入れたくなるほど、彼女の周囲は黄金色に輝き、体には極彩色の美しい花々が咲き乱れている光景に見えちゃっている。
叫び声もなんて可憐なんだと感動して、全身が振動し細胞ひとつひとつが核分裂反応を起こして『ありがとう』の気持ちを表現してる感じ。
もう全身は無いけど。
あぁこの感覚、絶対おかしいけど、快感過ぎる!

フラクタルな幾何学模様がバックグラウンドに交じり合った情景へと移り変わり始めると、事故を見ていた男子高校生2人が俺の顔を覗き込んだ。
男子高校生の顔なんてキュビズム的、ピカソの名画アビニヨンの娘達みたいにバグって凄いビジュアルだ。
顔はペラペラ漫画のように流動的変化を続けている。

「おぉ、キモ、これマジ?マジ死んでるの」

「マジで、オレ人死んでるの初めて見たかも。キモッ」

頭が悪そうな若者だが、
お前ら!今、芸術的に可愛いぞ‼︎
世界は全て完璧で美しい。

男子高校生はフォービズム的な高揚した彩度の高い色彩を輝かせながら、スマホを取り出し動画を撮り始めた。

「これバズりそうじゃない。有名になれっかな」

「万バズいけるっしょ」

撮影される俺の首。
聞こえているぞ。お前らの声。
脳内麻薬で多幸感に包まれているから、全てに感謝したいほどのラブリーマインド。
ライフ•イズ•ビューティホーと叫びたいぐらい満ち満ちた愛が溢れ出ているマイハート。
多分、リアルハートは止まっているけど。

『許す!全部許す‼︎』

むしろ、彼らのおかげで、俺の夢だった万バズが叶っちゃうかも知れない。
23歳の若さで逝っちまった人生最後の勇姿。もう晒しちゃっていいよ。
お前ら、人生は一度っきりだ。エンジョイしとけ。

俺はウインクしてアピールすると、撮影していたふたりはシュルレアリスム絵画のように溶ろけて、モノクロームに変色しながら叫び声を上げて尻餅をついた。
ダリとジョルジオ•デ•キリコを足して二で割ったような世界感。
こんな光景を見ているのは美大卒で、西洋絵画好きだったからなのかも知れない。
西洋絵画の世界にダイブしている感じ。
神様こんな世界を見せてくれてありがとう。

「ウ、ウィンクした。マジで今ウィンクしたよな。お前見たか」

「怖っ、マジで、マジでヤバくない。俺ら呪われるんじゃね」

カンディンスキーの抽象絵画のように、この世界から聞こえる声や音の旋律が形而上的な遠近法を無視した形状と色彩を帯びながらも、心は春の陽気で幸せに包まれて巨大な綿飴を食べてる感じの至福で甘い思考。

俺の心は事故によって人としての感性があらぬ方向へ捻じ曲がってしまたのだろうか、いや、これもひとつの現実なのかも知れない。
そう言えば、以前、臨死体験した人の話をYouTubeで観たことがあるが、光に包まれて幸せな気分だとか、三途の川が見えるとか、色々言っていたような。
今日は渓流釣りのため山へ向けてバイクで走ってたから、結局川には行けるのかな。
三途の川ってどんな魚が釣れるんだろうか。
三途って確か餓鬼道、畜生道、地獄道のことだったっけ。
善人は川の上の橋を渡くことが出来て、罪人は悪竜の棲んでいる激流に投げ込まれるとかなんとか。
でも俺、多分バイトに遅刻したぐらいでそんなに悪いことしてない平凡な人間だったから橋の上を歩かせてもらえるかな。
橋の上から釣り出来たらいいな。
何が釣れるのかわくわくするな!

パトカーや救急車のサイレンが重なり合うと虹色がかかった輪唱として花火のように弾け飛ぶ鮮烈な明るい光を発した。

空白のような白い存在の杖をついた腰の曲がったお爺ちゃんが俺の顔を覗き込んできた。
この世界から切り抜かれたような空なるお爺ちゃんは神妙な波長を発しながら俺に手を合わせ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱え拝み始めた。

『私は、はかりしれない光といのちの仏さまを尊びます』

南無阿弥陀仏ってそんな言葉の意味だったような気がする。
そうだ俺は今、リアル仏になっていたんだっけ。

フンデルトヴァッサーの絵画のように曲線と色面で構成されたポップな絵柄となった救急車とパトカーから隊員と警察官が現れた。
救急隊員はビビットな白と赤色、警察官は白黒の格子柄を纏い、有機的に情景と調和しながら俺の体と首を交互に見つめた。
そんな絵画的であり幻想的な救急隊員と警察官は俺の首に近づいて、表情を変えずに静かに手を合わせた。
そして、黒いシートを俺の首にかけられると世界はただの真っ暗闇になった。



何にも見えなくなったこの世界。
死とは無なのか。
まだ魂が首の中にあるってことは、完全に無ではないんだけど、無へ近づいているのかも知れない。
無我の境地なんて言うじゃない。
我が無いわけであって、完全に悟りの境地ではないか。
あ、俺、今、悟ってるのかも知れない。
もうあらゆる執着も無い。
諦めの脱力。
死して世界の真理に近づいた気がしてる。
臨死体験者が死を恐れなくなるわけだ。納得。

でも、いつになったら俺の魂は首から抜け出せるんだろうか。
抜け出し方が分からない。
このままじゃ魂ごと火葬されちゃうのか。何の執着も無いからまぁいいんだけど……

救急車のサイレンが止まり、病院に着いたようだ。
医師や看護士の会話から、遺体安置所に連れて行かれるみたいな話をしてるぞ。
うちは父ちゃん失踪で行方不明。母ちゃん死んじゃってるから誰も引き取りに来ないかもな。
無縁仏と言う仏になるのかも知れないな。
ははははは。

そんなこんなで何の因果なのか首から抜け出せない俺の魂は、ついに無縁仏のまま火葬を迎えたのだった。

バーニングマン‼︎
アメリカでそんな名前のフェスがあったような。
なかなか貴重な体験ですな。

無縁仏なので、作業的に棺桶に入れられ、一応お経を唱えられた。

「南無阿弥陀仏」

ありがたいお言葉。
閉ざされた棺桶の中。
目を開けると顔の前にある小さな扉の隙間から一筋の光が射していた。

暗闇の中の光を見つめると、人生の記憶がレンブラントの絵画のように仄暗い部屋の窓辺からの淡く暖かな光で浮かび上がり、走馬灯のように映像流れていく。

棺桶が台車で運ばれ始め、火葬場へ到着すると別の台車へ移された。
優しい振動が俺の首を揺すられ、最後の時を迎える。

痛みや恐怖と言うものが存在しないので、火葬されることはまるで映画を観ているようだった。

暗闇の中、木の焼ける匂いがすると煙が充満し始め、棺桶の壁が燃え始めた。
青い炎と赤い炎に包まれながら、この世界最後の景色を楽しんだ。
炎が視線を覆い眼球が焼け始めると、俺はやっと視力を失った。
肉体が焼け焦げて灰になると魂は首の中から解放された。

俺は世界とひとつになったようだ。

棺桶と言う壁が燃え、肉体と言う壁が燃え、意識と言う壁が燃えると、この世界には本来、何も分け隔てる壁など無かったんだな。

ある意味、ただの光になったと言える。時間も空間も関係の無いただの輝き……

⚪︎

「大丈夫、大丈夫ですか‼︎ 意識はありますか‼︎」

目を開けるとあの美女が俺の顔を覗き込んで見つめているじゃないか。
あれ、また首に戻ったのか。
体がめちゃくちゃ痛いが、何とか体を起こす事ができた。
「救急車呼んであるから、体は動かさないほうがいいよ。横になって」
美女から気品のある花の甘い香りがした。ピンク色の唇が色っぽいな。

交差点にヘッドライトと前輪が歪んだ俺のバイクが横たわっているのが見えた。
男子高校生ふたりがスマホでクラッシュしたバイクと俺を撮影している。
「これ万バズすっかな。」
「この事故動画売れっかな」

杖をついた腰の曲がったお爺ちゃんが美女の後ろから覗き込んできた。
お爺ちゃんは首を傾げながら神妙な面持ちで話し始めた。

「家の帰り方が分からなくなってしもうたんだけど、お姉ちゃん教えてくれんかのう。住所も忘れてしもた」

「お爺ちゃん今それどころじゃないから!」
間髪入れず美女が突っ込みを入れると俺は笑いが込み上げて吹き出した。
肋骨にヒビ入っているのようで脇腹に激痛が走った。
「イタタタッ」
痛みに悶絶して体を仰向けに倒し、空を見上げた。

ありふれた雲ひとつ無い青空。
ありふれたアスファルトから漂う排気ガスの匂い。
ありふれた人間の営みの音。

「世界はただ尊く、ただ美しい」

俺がそう呟くと、美女は首を傾げて大きな瞳で俺を見つめた。

「え…どうしてそう思ったの?」

俺は微笑みながら美女を見つめて言った。

「俺は今、この世界とキミに首っ丈なんだと思う」

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