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《夢儚散文46 言葉の蓑》#掌編小説

紅葉した落ち葉が無機質なアスファルトの道を染めていた。靴で踏み締める落ち葉の乾いた音を聞くと、その全てが命の亡骸のような気がして、随分と儚い道を歩いているのかも知れないと思った。

「人間ってね。二度死ぬんだって。肉体の死とみんなの記憶から消えてしまうときの死。偉人とか有名人は二度目の死がなかなか訪れないけど、あたしみたいな凡人はすぐに二度目の死が訪れそう。」

彼女はそんな言葉を残して2ヶ月後、一人暮らしの小さなアパートの部屋で睡眠薬を大量に飲んで眠るように死んだ。

あのとき、どんな言葉を返せばよかったのか。答えの出せない僕の拙い言葉達が沸騰していく気泡のように沸き上がり、自分自身の心を干上がらせていた。

「なんで生きているのだろうね。どうせ死ぬのにね。」

生きる理由なんてものは、自分自身も分からなかったので、彼女のあの言葉にも答えられなかった。
ただ、意味付けを自分ですればいいだけなのかも知れない。
その意味がこの世界を照らす灯りのようなもので、それが見つけられないから迷うのだろうか。
頭の中で、複雑で難解な迷路のようなイメージが浮かんでしまい、出口を見つける事が難しく思えてしまう。彼女もそんな迷路に迷い込んでしまい、出られる希望を失ってしまったのかも知れない。
自死の理由は未だに分からない。

「曇り空が好き。白でも黒でもない灰色。何にもはっきりしてないフワフワした雲。それが空を覆うとあたしは安心するの。雨も好き。変わりに泣いてくれている気持ちになるの。だから好き。」

雲り空を見上げながら何度か聞いた言葉。
地球では当たり前に晴れも雨も曇りもあるし、大荒れの台風だって、竜巻だって、稲妻も落ちたりもする。それがただの自然の有り様で、僕自身はあまり好きとか嫌いとは思った事が無かった。
彼女の言葉を聞いていると僕はあらゆることに無関心で無頓着な気がしていた。意味を考えることすら諦めて生きている僕の振る舞いを見て、彼女はこんな言葉も残していた。

「キミ冷たいよね。暖かいよりは冷たい。ホットでなくクール。いつからそんなに冷え切っているの。暖めて欲しいと思うときは無いの?。」

転校を繰り返していた小学生の頃、黙っていることの方が自分にとって生き心地が良かった。どうせ友達になってもすぐに別れが訪れるから。心の奥底でそう思っていたことを彼女の言葉が思い出させてくれた。
母親がいない父子家庭で育った僕は人のぬくもりに疎いのかも知れない。愛情と言う感情がよく分からず、むしろ「愛」と言う言葉を聞くと嫌悪感さえ抱くことがあった。
ただ、彼女といると少し暖かい印象を受けていた。言葉としてそれを愛と言えるのかは分からなかった。

彼女と布団の中で抱き合っているときは、僕はいつもまな板に載せられた死んだ魚のように動かず、天井を見上げ物思いに耽っていた。そんな僕の体に彼女は僕より冷えている体をより添わせ、何度も「暖かい」と言っていた。
彼女は僕に一度も「愛している」と言う言葉を言わなかった。
ただ一緒にいて暖かかったのだと思う。

ある夜、彼女は布団の中でこんなことを言った。

「死ぬときってどんな感じなんだろう。眠るみたいなのかな。眠ると夢を見るでしょ。死んだあとは夢のような世界へ行ける気がしているの。地獄なんて、あって欲しく無い。せめて死んだあとぐらいはいい夢みたいな。」

あまり自分のことを語らなかった彼女は、現実的な話より、抽象的だったり、幻想的だったり、概念的な話が好きだった。
そんな彼女の掴めない雲のような言葉が、落ち葉のように降り注いでいたような感覚だった。

ある時、彼女の言葉を聞いていて、孤独な小学生時代、秋になるとひとりで落ち葉を大量に集め、その中に埋まって遊んでいたことを思い出した。
落ち葉の中は外界より暖かく、葉の隙間から落葉した木々を下から眺めていると気持ちが落ち着き、そのまま寝てしまうこともあった。

2ヶ月前、突然、彼女から別れを告げられた。
その日は雨が降っていて、彼女は口紅と同じ色の赤い傘を差していた。待ち合わせをした駅から黙って歩き、彼女のアパートへ向かっていたら、T字路で静かに立ち止まり、小さく震えた声で僕の背中へ向けて言った。

「キミと別れなくてはいけなくなったの。別に、他に好きな人が出来たとかじゃないの。そろそろね。やらなくてはいけないことがあるの……ごめんね。」

やらなくてはいけないことについて聞いてみたが、彼女は首を横に振るばかりで、多くを語ろうとしなかった。
出会った頃から、彼女は最後まで雲のように捉えどころがなかった。
その日、僕へ向けて1番よく使われた言葉は、
「ごめんね。」だった。
そして、別れ際、僕が聞いた彼女の最後の言葉は、
「さよなら。」だった。

大きなもみじの木があった。
その下の道は彼女がよくつけていた口紅と愛用の傘と同じ色に染まっていた。
僕はもみじの落ち葉をできるだけ集めてみた。あの頃より大きくなった僕を埋め尽くすほどは落ち葉は足りなかった。
両手でかき集めたもみじの落ち葉で顔を覆うと視界は彼女の口紅色となり、小学生の頃によく嗅いでいた懐かしい落ち葉の香りを感じた。

顔中で落ち葉の儚さを感じていると、涙が流れていた。
いつから涙を流していなかったのだろうか。

「暖かい」

涙と落ち葉の匂いを嗅いでいると小学生の頃、蓑虫が大好きで箱に飼ってよく眺めていたことを思い出した。
ほとんど動かない蓑虫をじっと見つめているのが好きだった。蓑のなかで何を思っているのか蓑虫の気持ちが知りたかった。

初めて落ち葉に埋もれようと思い立った日のこと。
母が家から出ていった小学生2年の秋。ちょうど今日と同じような落葉が進んだ晩秋。
玄関先で母にもう帰って来ないことを伝えられ、泣きながら引き留めようとしたが、母は静かに強く抱きしめてから、僕を父へ引き渡した。
母が玄関を閉じたあと、大泣きしていた僕は父に頰を思いっきり叩かれ、「もう二度と泣くな。」と怒鳴られた。
大泣きしていて発汗していた僕の体温が急激に冷めていくのを感じた。暖かさがどこかへ行ってしまった気がしていると、幼い僕は蓑虫のことを思い、次の日、落ち葉を集めて潜り込んでいた。

涙は暖かかった。
冷たい自分からこんなにも暖かな涙が流れるとは。
雨が好きだった彼女に見せられなかったことを悔やんでさらに泣いた。

「この世界に欠けているものなど無いと思えたら、世界とひとつになれる気がするの。」

雨が降っていたあの日はいつもの赤い傘と口紅をした彼女が、大きな水溜まりを前にして言った言葉。

語られた言葉は彼女の葉。
僕はその落ち葉を体に纏っている蓑虫のようだなと思った。
その蓑は彼女の冷たい体のように暖かかった。

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