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《夢儚散文18 丁横丁2》#短編小説
続き
六畳の部屋の真ん中には使い古した丸いちゃぶ台が置いてあった。店の歴史を感じさせる木製のカウンターが部屋の隅にあり三脚丸椅子が置いてある。クッションカバーは老婆の服と同じ赤い生地で出来ていた。
裸電球の照明は薄暗く、おでんの匂いだろうか、煮込んだ醤油の香りが漂っているのだがかすかに線香の匂いが混じっている気がした。
壁はキリギリスのような淡い緑色をしていて、真っ赤な板に黄色く震えているような文字で書かれたメニューが貼ってあり、おでん・冷奴・煮込み・お茶漬けと飲み物は瓶ビールと酒だけだった。
価格が書いていないのが気になったが、たかが知れているだろうと注文することにした。
「姐さん、それでは瓶ビールとおでんをお願いします」
私は座敷に上がりちゃぶ台の前に座ってそう言うと、丸椅子に腰掛けていた老婆は小刻みに首を揺らしながらしゃわくちゃの笑みを浮かべ、カウンターの奥へ消えていった。
部屋の角に座布団が4枚ほど積んであった。手を伸ばして取ろうとすると白猫が静かに寝ていた。
頭と鼻の下に黒い毛が生えていて、ちょび髭が愛らしい顔をしていた。
「ごめんね。座布団が欲しいんだ」
私がそう言って抱き抱えようとすると、ゆっくり立ち上がって、ぴょんと一度跳ねしてからちゃぶ台の下まで歩き、チーズがとろけるように寝転がった。
「おまちどうさま」
老婆はヨロヨロとこちらに歩いて来ていた。震える手で丸いおぼんから瓶ビールとコップを手渡して来て、最後に小さな植木鉢をちゃぶ台の上に置いた。
アゲハ蝶の幼虫のような小さな目が無数にある緑色の植木鉢に鋭利な棘が生えているサボテンには赤や黄と水色の3色の咲いていた。
「姐さんこれは?」
私が怪訝そうな顔で聞くと老婆は首を小刻みに動かして薄笑いをしながらひと言「おとうし」と言った。
サボテンの花は菊のように花びらが多く、その中心の雄しべは薄いピンク色でどことなく男性器を思わせるカタチをしていた。それを囲うように細い虹色の雌しべが妖艶に寄り添っていた。
匂いを嗅いでみるとチョコミントと黒酢を合わせた様な香りが鼻腔から脳に突き刺さり、その意外さに頭が混乱した。
「姐さん…これはどうやって食べるのかな?」
私が恐る恐るそう聞くと老婆は突然私の目の前でパンッと手を叩いた。
背筋から脳へ一直線の槍でも刺さったかの様な衝撃を味わい、驚いた表情をしている私へ老婆は苛立ちの含んだ声で言った。
「アンタの好きにせい。いい大人じゃろが」
心臓の鼓動が高鳴っているのを感じる。
私はとりあえず瓶ビールをコップに注ぐために手に取ると、瓶がぬる燗ぐらいに温まっている事に気づいた。
注いでみると粘りのある蛍光色の黄緑色の粘液がドロリと流れ出たので私はさらに混乱した。
その液体はコップの中で生き物のように鼓動を始めた。よく見つめてみると黄金虫ほどの大きさの人間の手が沈んでいて、それが開いたり握ったりしていた。
老婆が独り言のように小さな声で鼻歌を歌った。
「む〜すんで、ひら〜いて、て〜をとってむ〜すんで…」
その旋律が白い蛇となって耳の中へ入り込むと頭の中でグルグルと回転を始めた。
額からはベッタリとした冷たい油汗が流れ落ち、私は静かに唾を呑み込んだ。
壁にかかっている振り子時計の音が気になり始める。
チクタク、チクタク、チクタタク、チチクタク、タタクチチク、チタクチタック、タクチクチチチチチク、チタックチックタクタタク…
薄暗い店の中に鳴り響く老婆の鼻歌と不安定なリズムを聴いていると時空が捩れ、重力を逆らい空へ落ちていきそうな気分になった。
窓から夕陽が差し込み始め視界が赤く滲んでいく。
赤い液体の中にいるかの様な感覚に襲われ、私は呼吸をするのを忘れてしまって溺れ始めた。
もがき足掻いていると白い滲みが見えた。
赤に交わらない一点の白。
それが救いの女神のように思え、すがる気持ちで赤を掻き分け白へ向かった。
近付くと白い滲みは白装束姿の老婆となった。
頭には死者が付ける三角巾が撒かれ、顔には死化粧が施されていた。
私は硬直し、ただ見つめることしかできずにいると、老婆は無表情のままおぼんに載せていた白磁の骨壷を静かにちゃぶ台の上に置いた。
「おでんお待ち、温かいうちにお食べなさい」
老婆はそう言って私の目の奥を見つめてくる。
私は何度か老婆と骨壷を交互に見つめたあと、震える手で骨壷の蓋を開けた。
白い湯気と共に酢のような酸味と腐りかけた生肉の匂いを顔を包み込んだ。匂いの奥底にはお店と同じ線香の香りが漂った。
骨壷の中にはドブ底のようなを黒い液体の中に人の頭が浮いていることに気づいた。
私はそれを恐る恐る箸で髪の毛を摘みあげた。
ドロリとした黒い液体から頭部が持ち上がっていく。
滴る液体から現れた顔をよく見てみるとそれは私自身であった。
続く
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