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「なんかもっとこうしとけばよかった」という気持ちが溢れてしまったとき


「なんかもっとこうしとけばよかった」
という気持ちが溢れてしまったとき
もう過ぎたことだから
これからどうすればいいかだけを
考えたらいいじゃん。

って頭のどこかではわかってるんだけど
やっぱり、どうしても後悔してしまう。

私の父は60歳にして前頭側頭葉型認知症と診断された。
認知症の中でも発症率は1%の難病指定されているのが
前頭側頭葉型認知症。

発症する人が少ない分、研究も薬の開発も
進んでないらしい。
けどどうやら発症から約10年で寝たきりになる
と言われてるらしい。

前頭葉は「人格・社会性・言語」を
側頭葉は「記憶・聴覚・言語」を
主につかさどっているので、
発症すると様々な症状がでる。

抑制が効かなくなったり
会話ができなくなったり
感情の起伏がなくなったり。

父もまさにそんな感じ。

でも、抑制が効かなくなった父は
いたるところのNPO法人や団体に
寄付をし始めたりするし

(いいことではあるけれど、さすがに止めた)

ご飯を食べ終わったら
私たちを待たずに先にお店を出ちゃうし

(けど車をお店の出入り口に持って来てくれてたりする。
もう免許は返納しました🚗)

家族に突然お揃いのブレスレットを
プレゼントしてくれたりする

(普段はプレゼントなんてしないし
特に子どもの時は、本当に怖い父だった)。

ちょっと困るのは、甘いものを
たくさん食べ過ぎちゃうところ。


そんな父に対して
「なんかもっとこうしとけばよかった」
と思ってしまうことがたくさんある。

今、私は高知に来て
岡山と少しだけ遠くなってしまったけど

大学生の時は岡山だったから
あれだけ近くにいたのにも関わらず
いや、近くにいたから(?)

どうしてもお父さんに話かけられると
かなりそっけなかった気がするし
答えているようで答えてないみたいな返事を
してた気がする。

電話がかかってきたのに
折り返ししないこともあったし

何度も「今年は家族旅行行くんか?」
の確認してくれるお父さんに
「部活忙しいから、うちのこと考えんでいいよ!」
って言っていた。

それなのに、何回も電話してくれたり
一人暮らしの家まで送ってくれたり
父が釣った魚を届けてくれたりしていた。

高知に行ってからも、突然
「元気にやってますか?」
ってメッセージをくれたりもした。

基本的に放任主義で
「子どもはどうせ言うこと聞かんのんじゃけ、
好きにしたらええわぁ!」

というのが口ぐせのお父さんが
きっと、いっぱい心配してくれてたんだと思う。

今は、お父さんとどれだけ話をしたくても
質問に対して答えが返ってくるか
返ってこないかくらい。

まぁ、お父さんから話かけてくれることも
そんなにない。

たまにお父さんに「ゆか」と言われると
私のことをまだ「ゆか」だと認識してくれていることに
安心して、こんなにもうれしいものか
という気持ちになる。

あの元気だった状況がそんなに前じゃなくて
こないだの話なのにここまで
症状が進行している事実への不安と

やっぱり、あの頃の自分の態度が
かなりひどかった気がして、
私は父をたくさん傷つけたんじゃないか
という気持ちが湧いてくる。

岡山から高知に帰ってきて
1人の時間になると特にそう。

私はきっとまだ父の病気のことは
受け入れきれていないのだと思う。

いっぱいいっぱいごめんなさい。
いっぱいいっぱいありがとう。
いっぱいいっぱいおいしいもの一緒に食べようね。

ちょっとうれしかったことも
一緒に笑ったことも
残しておかないと、
すぐに忘れてしまいそうで
少しだけ悲しいから、
少しだけいいカメラを買った。

ずんずんと河原を歩く父
昔の家族写真を見てる父
全然起きない父を起こす弟


たまに文字としても父のことを
ここに残していこうかなと思います。

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