泣いて笑って、救われたこと
小説を読む醍醐味のひとつは、
自分の過去の葛藤が、嵐のように救われることだ(この表現は『三月のライオン』の桐山くんからの盗作である)。
昔の自分では答えが出し切れなかった悩みや後悔、そういうものに共感して、「それでよかったんだよ」と慰めてくれる奇跡のような体験が、本当に時々あるのだ。
山田詠美先生の『僕は勉強ができない』という小説が、まさにわたしにとって、過去の自分を優しく抱きしめてくれた作品である。
高校生の時、クラスのマドンナが嫌いだった。
顔が可愛くて髪がサラサラで、親切ないい子だったのだ。クラスのみんなが彼女を好きだった。
それでもわたしは嫌いだった。
それは、みんなが彼女を「純粋で可愛い」と言っていたからだ。
わたしだって彼女を可愛いと思っていたけれど、わたしは彼女の可愛さや可憐さというのは、塗り固められたものだと感じていた。
クラスの男子にからかわれて地団駄を踏み頬を膨らます彼女を見て「ピュアでナチュラルで可愛い女の子は、16歳にもなって地団駄を踏まない」と思っていたが、絶対に口には出せなかった。わたしはブスで、スクールカーストが彼女より圧倒的に下で、そんなこと口に出したら僻み以外の何ものでもなかったから。
みんながピュアでかわいいと言っている女は、緻密に自分の魅せ方を研究して表現しているのに、なぜ気づかないんだ。あれはすっぴんではなく、ナチュラルメイクという名の厚化粧なのに。全然すてきじゃないのに。
わたしの若々しい怒りと不満は解消されぬまま、もちろんスクールカーストが覆ることも無く、しかるべき時に卒業を迎え、彼女のことは記憶の彼方に消えていた。
そして、しばらく後に『僕は勉強ができない』に出会った。
秀美くんは「どんなに勉強ができても、りっぱなことが言えるような人物でも、その人が変な顔で女にもてなかったらずいぶんと虚しいような気がする」という哲学を持って生きている男の子で、勉強が出来ないのによくもてる高校2年生だ。
秀美くんは、物語の中でクラスのマドンナの山野舞子のことを指してこう発言する。
「自然体ってこと自体、なんか胡散臭いんだよなあ。自然っていう媚びってあると思わねえ?」
わたしは、秀美くんの言葉を何度も何度も読んだ。目から鱗と涙がポロポロ零れた。
自分が抱えていたイライラムズムズを、こうも簡潔に、舌触りのいい滑らかな言葉で、しかも人気者でかっこいい秀美くんが言語化してくれた。
嬉しかった。わたしと同じことを思っていた人がいる事に涙が出た。わたしの不愉快な気持ちは、わたしという人間が不出来だったから生まれたものではなく、違う時代の違う誰かも同じように思っていたのだということに、嵐のように救われた。
そして秀美くんは、山野舞子にこう告げる。
「ぼくは女の人の付ける香水が好きだ。香水よりも石鹸の香りの好きな男の方が多いから、そういう香りを漂わせようと目論む女より、自分好みの強い香水を付けてる女の人の方が好きなんだ」
この言葉にはもう、涙と鼻水が止まらなかった。多くの男の人には振り向いて貰えないけど、わたしの大好きな香水を素敵だと言ってくれるたったひとりが居たらそれは素敵だと、前を向く勇気が湧いた。
しかし、マドンナ山野舞子も負けてはいない。
「何よ、あんただって私と一緒じゃない。自然体っていう演技してるわよ。本当は自分だって、他の人とは違うなにか特別なものを持ってるって思ってるくせに。優越感をいっぱい抱えてるくせに、ぼんやりしてる振りをして。あんたの方が、ずっと演技してるわよ」
さすが自己研鑽を怠らないマドンナ、
秀美くんをしっかり殴り返してくれた。
そして、クラスのマドンナと男子が乳繰りあっているのを、我関せずと言う表情で(ほんとうはしっかり聞き耳を立てながら)桐野夏生や三島由紀夫の小説、坂口安吾のエッセイなんかを読んでいたわたしもなかなか演技派で、格好をつけていたことを自覚させてくれた。
もしかして、クラスのマドンナも、あたしのこと嫌いだったかな。いや、ゴミムシのごとく無視されていた可能性の方がずっと高いけど。あるいは。
そんなふうに思ったら、泣いたあと、少し笑えた。
秀美くんのおかげで、過去の自分は救われた。
そして、山野舞子に過去の自分を殴られた。
どちらも愛おしく、人生の節目には助けを求めてしまう、わたしの大切な大切な小説だ。
推薦図書のハッシュタグから、勢いで書いてしまった。いつか山田詠美先生に感謝を伝えるのは、叶わぬと知りつつも、わたしの小さな夢である。