手を出す、ということ
母は手が出るタイプである。
もちろん、訳もなく突然殴りかかってくるなんてことはないのだが、ある程度不満が溜まると叩かれる。
対して私はものに当たるタイプだ。
ドアを思いっきり閉めるのはもちろん、部屋に篭って母からの逃避を試みる。私がものに当たっている音を聞いて、母がさらに激昂する。最悪のループの完成だ。
ちなみにものに当たると言っても、何かを破壊したことはない。
壁や襖に穴が空いています。なんてことはないのでご安心を。
手が出る母は、なぜ手が出てしまうのか。
ヒステリック持ちでリミッターが外れると、最初は叫んで追い詰めてくる。
そうなると、私も悪いのだが叫び返してしまう。そうなるともうこちらが全面的に悪かった、ということで確定してしまう。「あんたから叫び出した」「喚くな」と言われておしまいである。
そして叫ぶだけで収まらなかった場合。ここで手が出る。
どちらが手を上げたか、と言うのは割と大事な話題なんじゃないかと私は思っている。手を上げたら負け、とはよく聞く話だ。
私は、母に手を上げたことは一度もない。
まあ当然である。子が親を叩くと言うのはなかなかにハードルが高い。
では逆はどうだろうか。親が子を叩く。うん、普通にあることだろう。親は子を教育するという立場にある以上、悪いことをしたら叱らなければならない。その方法として『叩く』という手段があってもなんら不思議ではない。
皆さんも親に叩かれた事の一度や二度はあるだろう。
ちなみに筆者は、父親に叩かれたことはないが、これはまた別のお話。
このように、親が子を叩くのにはある程度正当な理由が存在している。何度か叩いたって問題視されないのが、親子関係というものなのだ。
母は、おそらくその『叩いても問題ない』という考えの上に、さらにヒステリックが重なり、割と早い段階で、つかみかかる、叩く、という行為に走りがちなんだろう。
手を挙げられた一番古い記憶は、小学校低学年の頃である。
確かその日、私は母に早く帰ってくるようにと言われていた。
そして私は問題なく帰宅した、つもりだった。なんと実際は5分ほど遅れていたのだ。
当然母は激昂し、私が帰るなり胸ぐらを掴み上げた。たった5分、しかし遅れたのは事実。当時小学2年生だった私は、遅刻がいかに重罪であるかを胸ぐらを掴まれながら自覚した。