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夜の淵
今年も東北で3月11日14時46分を迎えました。
朝からFacebookのTLに流れる震災関連の記事の数々。
カタリバも朝一で記事を投稿していました。
別に普段と変わらぬ日常。でもその時間までなぜかソワソワする。
14時近くまでそんなよくわからない感情を持ったまま過ごす。
14時46分。黙祷。
町内放送で町長のあいさつがあったのちに、サイレンが響き渡る。
1分後目を開け、町の人と軽く雑談し、その場を去る。
そしてまた職場に戻り、PCと向かい、仕事を終え家に戻る。
なんてことのない日常に戻る。なんてことのない日常に。
9年前の今。
今いるこの町は、波にのまれ火の海と化していた。
去年から週1で授業に行っていた大槌高校の体育館には避難した人たちが大勢いた。
暗闇の中、海に漂っていた人もいるかもしれない。
今日という日を迎えられなかった人がいる。
なんとか今日を迎えた人もいる。
今日という日を迎えてしまったと思っている人も多分いる。
でも僕はその人にはなれない。寄り添うことしかできない。
この2年でいろんな話を聞いた。
身内をなくした方の話。避難所の中で親を待ち続けた小学生の話。
震災前の大槌の話。遺体安置所の話。
この行き場のない感情をへたくそな言葉でここに残すことで
なんとか消化しようとしている。
この感情を理解してくれる人はこの世に1人もいないんじゃないかと思ってしまう。多分いるけど。
「東北で働いてるんです」って言うと
「すごいね、意義のあることしてるね」みたいなことを言われることが多い。でもそんなことはないと思ってる。
すごいのは町やカタリバで僕個人ではない。僕にできることはそんなに多くはない。
でもそんな中でも自分にできることを探したいと思ってしまう。
子どものために。この町の何かのために。
そして、地元福井のために。
岩手の片田舎の仮設住宅で、そんなことを考えながら床に就く。