自己紹介#2~大学~
#1はこちらから。
浪人の反動もあり、僕は入学後全力で遊びだしました。と同時に(取りたい)授業は真剣に受けていました。
前回も書いたように、「大学に入ったら自分の好きな勉強をして就職に役立てよう」と思っていたので。
教室の前のほうでノート取る意識高い系の痛い奴。
あのときは勉強できればなんでもできるとたぶん本気で思い込んでいたと思う。
でもその幻想もあっさり崩れました。
それは大きく3つの出来事があったから。
①東日本大震災
僕が大学に入学した年は2011年の4月。合格発表の3日後に震災が起きたこともあり、入学してすぐ東北へのボランティアを探していました。
たまたま授業で震災を取り扱う回があり、その授業後に教授に「ボランティアの伝手ないですか?」と聞こうとした矢先に、「ボランティアの告知してもいいですか?」という子と遭遇。
その子経由でボランティアにやや無理やりねじ込んでもらいました。それが震災から4か月後の7月。今ではかなり近くの岩手県陸前高田市へ。
もしかしたら貴重なのかもしれない1枚。
そのときのボランティアって1日計6時間しか活動できないし、余震があったらすぐ活動停止だったんですよ。
なんでどんだけ頑張って清掃やら物を運んでも、
「時間ですー!終わりー!」とか
「地震だ!高台に!」とかで中断が多く、
やりきった感がないままボランティアが終わってしまいました。
現場に行ってない人には伝わりにくいかもしれないですが、なんとも言えない緊張感と、自然の脅威と自分の無力さを味わった経験でした。
②インターンシップ
大学2年の夏に石川県能美市役所のインターンシップに参加。
母校である金沢大学と能美市が提携した一環で(やったと思う。違ったらごめんなさい)、インターンシップに入らせていただきました。
2週間のインターンでしたが、さささっと終わってしまい何もできず帰宅してしまいました。
正しく言うと、その後インターンの名残として終了後約半年はお世話になっていましたが、与えられたミッションに対する成果は全く出せなかったなと思ってます。
この時は「大学で勉強してきたし、成果出せるっしょ!やったるでー!」ぐらいのノリやったんですけど、逆に言えばインプットばっかでアウトプットが全くなかったんやと思います。(勉強も量こなしてたわけではないから身についてない)
③友人の父の死
これが一番きつかった。
中学で1番仲が良かった、今でもたまに飲みに行く仲の友人の父が急逝。
浪人時代、背中を押してくれた数少ない人だったので、
その話を聞いた時はほんとにしんどかった。毎日泣いてた。
でもそれ以上に、その友人の助けに自分が何もなれなかったことのほうが辛く、そして悔しかった。
当時僕は金沢に、友人は福井に住んでいました。
社会人になった今では、車で1時間と大した距離でもないなーと思います。
でも、運転免許を持ってなく、車もなく、金もなかった当時の僕は、
そばにいてあげることも金銭的な助けをしてあげることもできなかった。
そういったこともあり、大学生活が進むにつれて僕は「勉強してもなんの役にも立たないんじゃ…?」と思うようになっていきました。
(めっちゃ間違いなのはわかってます。金沢大学地域創造学類の先生方、本当にごめんなさい。)
とはいえ自分1人では何もできるわけでもないしどうしよう…。
そんな僕を助けてくれたのは、とあるNPO法人とその代表でした。
続きは次回。
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