見出し画像

Tちゃんと私の関係

時々しか会わないけど、いつもお互い気にかけているような関係。
それが従叔母のTちゃんだ。

私もこれを書くにあたって調べて初めて知ったのだけど、父親のいとこのことを従叔母(いとこおば)と言うらしい。

父親のいとこなので、もちろん私とは親と子くらい年齢が離れている。
そんな従叔母を私はTちゃんと下の名前でちゃん付けして呼んでいる。
そもそも、父親のいとこなんて知らない、会ったことのない人も多いんじゃないでしょうか。



都会に住むTちゃん姉妹は、叔母であるうちの祖母と仲が良かったため、よく田舎に泊まりで遊びに来ていたのだ。
祖父母宅に預けられることの多かった私に、いつもお土産を持ってきてくれたり、一緒に出かけたり遊んでくれたりした。

幼少時代、子供の中でも私は年長者だったので、親以外の大人たちからもなんやかんや言われることが多かった。
「女の子は台所の手伝いをしなさい」「言葉遣いに気をつけなさい」
「一番上なんだから妹や弟の面倒をしっかり見なさい」
何度男に、そして下の兄弟に生まれたかったと思ったことか。

大人になった今も思い出すことがあるのだけど、Tちゃんにはそんなことを言われたことは一度もない気がするのだ(もしくは命令口調で強く言われたことがないのかも)。逆に過度に子供扱いされたこともない。
いとこの娘だから、ということもあるのだろうけど。



小学高学年になると、毎年夏休みにTちゃんが一人暮らしする東京へ1人で遊びに行っていた。きっかけは忘れてしまったが、東京までの交通手段で両親が大喧嘩していたのは覚えいている。

渋谷、原宿の竹下通り、フジテレビ、バラエティ豊かな博物館…
Tちゃんは色々なところへ連れ回してくれた。
親から預かったお礼のお金をTちゃんに渡すと、「じゃあこのお金でうまいもん食べに行こう」と一緒に焼肉へ行ってくれた。
美味しそうにビールを飲むTちゃんを見て、私も早く一緒にビールを飲めるようになりたい、と思ったのを覚えている。
Tちゃんには迷惑だったかもしれないが、この東京一人旅は一人っ子気分を味わえるけれども、子供扱いもいい意味でされない、私にとってはのびのびいられる時間だった。



私が中学に入ると部活で忙しくなってしまい、法事以外で会うことが減った。大学受験の時にもお世話になったが、Tちゃんのご家族の事情で自宅にほぼほぼおらず、家を借りていたような状態だった。

久しぶりにゆっくり会って話ができたのは、20代後半に差し掛かった頃、私の父のお葬式。Tちゃんは近すぎず離れすぎず、そんな距離で私を見守り、時折いつものように話しかけてくれた。

ようやく落ち着いて迎えた四十九日。
独身の私は親戚の話題の格好の餌食になった。
「まだ結婚しないの」「いい人はいないの」「うちの娘の方が早く結婚した」「いとこの中で一番年上なのに一番最後かもね」
「お父さんバージンロード一緒に歩けなくて可哀想だったね」
世の中には人の気持ちを考えずに、平気でこんなことを言う人もいる。
滅びてしまえと思いますよね、まじで。

この時、真っ先に私をガードしてくれたのはTちゃんだった。
私の近くにスッと座り、全然他の話をし始めたのだ。
「最近いいダイエット方法ない?」「東京いるんでしょ?今度遊びに行こう」
「ビール足りてる?」「ここの角煮うまいね〜」

親戚たちがつまらなさそうに目の前の食事に向き直すと、一言。

「あんなこと言う人たち、気にすることないよ」

そこから自然に、時々程よくビールを飲んだり、おすすめのものを送り合ったりするようになった。



私はTちゃんをずっとずっと尊敬している。
子供の時から対個人として私に接してくれて、犠牲になって笑顔でやり過ごそうとしている人を傍観しない。
Tちゃんの前では子供でもなく大人でもなく、友達でも家族でも親戚でもない自分でいられる。
時々くれるアドバイスもこうしなさい、ああしなさいでなく、心に溜まった泥をスッと抜いてくれるような言葉だ。
その言葉を、私は繰り返し、繰り返し思い出す。
ずっと続いていくんだろうな、と安心できるこの関係を時折改めて大切に思う。

実は今日Tちゃんと電話をしていて、もらったアドバイスのことを話したかったのだが、長くなってしまったのでまた今度。
いろんなことを説明しつつ、簡潔に文章を書くのって難しいな。

今月は久しぶりにTちゃんと会う。灼熱の植物園へ出かける。
一緒にビールを飲むのが、今から楽しみでしょうがない。

いいなと思ったら応援しよう!