文化人ヅラするために映画を観てみたら

8月が終わる頃、ようやく連日の猛暑に少し慣れてきたかと思えば暴風と豪雨によって、肉体もスケジュールも乱れ、やや乾いた日々を送っております。

毎年見聞きする常套句をかりれば、今年もあと4ヶ月で終わり。仕事の締め切り表ではとっくに2024年は終了している。明日からは9月に入りいよいよ現実と脳内カレンダーの進行速度が合致しそうです。

さて日々の労働による脳と体力、時に精神の疲労で休日は長らく続けている筋力トレーニングを残り少ない気力と体力を絞り出しながら済まし、帰れば必要最低限の栄養を入れた後に横たわりながら過ごす。そんなサイクルが定番化していました。

来週からの仕事のためにリカバリーをするという理由で昼寝をしたり、合間に食事やサプリメントを摂る、湯船に浸かったりとタイムスケジュールを組んでこなしているものの、「もっと他の刺激がほしい」となったのは7月あたりだったでしょうか。この"刺激"というのは自分の中に仕入れる多彩な情報を指しています。さらに砕いてどんな情報を欲していたのかを考えたところ、自分が知らない世界についてでした。

この刺激を満たすことをやりたいものの、リカバリーも大切なことであるとないとでは、仕事での頭の回転や集中力等の持続力が天と地の差なので、削るという選択肢はありません。

ネットで調べれば出てくることを博識ぶって書いている自己啓発本
のように言えば時間は有限。誰にも平等に24時間しか与えられていないので無理やり捻り出さねば新しいアクションは起こせません。

刺激を満たすために手っ取り早く尚且つ、堅苦しくなく定着するものは何かあるか?とした時に「映画を観る習慣をつけてみよう」という答えが出ました。そして改めて自分の好きなジャンルを知ること、逆に嫌いな系統を把握するためにいい機会であると思い3ヶ月間実施することにしました。

「好きなもの嫌いなものを知るためには、とりあえず全部観ないと分からんもんな」と考え、まず初手に"最寄りでやっている映画館の作品を全て観る"ことにし、制覇したら都会(◯宿)の映画館へ進出するというルールを設けました。

1ヶ月弱経過した現在、いちいち何を観たとかはそれなりの量があるので書きませんが、ひとつ分かったことは「自分好みの作品よりも、遥かに合わない作品の方が多い」ということです。

決まった尺の中でおさめなければならないという性質上、どうしても物語の展開が忙しくなってしまったり、オチを効果的に体感させるための技法?なのか到達するまでの時間を長く創られていたりと、せっかちな私には楽しさよりもイライラすることもかなりありました。

たまにいる映画好きな方々はああいったものも、太古の文化人が言うところの「風流である」と賞するのでしょうか。

昨今、時間の効率化と称したタイムパフォーマンス(意識高い系のおままごと)と呼ばれ、倍速で映像作品等を鑑賞するムーブメントがありますが、私はそのようなことは好きではありません。あんなことをほざきながら本質を掴めず、枝葉末節でしか喋れない言葉ほど価値のない経験はないと思っているので。

何が言いたいかというと別に作品自体の尺や、オチまでのエサ巻きの時間が長いことにストレスを感じることはないです。その制限時間内に行動も感情も拘束されていたにも関わらず、大したことがなかった時に「あ?」とスクリーンめがけてメンチを切ってしまいます。

「なーにが逃◯中だバカ野郎。
もっとフェラーリ周りの人間の深掘りしろよ。
中途半端に負の歴史を想起させるような演出して、とりあえず街を怪獣に襲わせたところでメッセージ性を植え付けられると思うなよ」

なんて思ったり思わなかったりしたわけです。お金と時間を払って自分にとっての駄作を観る経験を蓄積することはとても大切ですね。

なぜなら「こんな経験を他人に味あわせてはならない」と反面教師になるし、何が足りてない、クドイかを知ることで、この企画が終わり自由に作品を選んで鑑賞する際の基準がより洗練されるなと身をもって思いました。

あと2ヶ月。休日だったはずの日に仕事が入ることがあるのでなかなか消化するのが難しいですが、引き続き映画館に脚へ運び自分にとっての傑作と出逢えればいいなとベッドに横たわりながら書いております。

ちなみに24時間テレビは予選敗退です。

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