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贅沢な寄り道

 小学生の頃、奈良・吉野で、家族とともに満開の桜を楽しんだ。春の日差しが柔らかく、穏やかな空気の中、人々の喧騒さえ心地よかった。人が集まる場所には、それだけの理由がある。

 昼過ぎ、帰り道でふと冒険心が芽生えた。駅へと戻る道を外れ、知らない横道へと足を踏み入れる。家族は何も言わず、静かに後をついてくる。やがて長い階段を下りると、視界に広がったのは、果てしなく続く一本道だった。舗装はされているが、街灯もなく、人影も見えない。数分もあれば駅に着くはずなので、私たちは前へ進んだ。

 歩き続けるうちに、太陽はゆっくりと傾き、やがて空は茜色に染まっていった。気づけば、もう数時間が経っていた。私はへとへとに疲れ、諦めて引き返すことを提案した。しかし、両親は前に進むと言った。

 優しかった日差しは夕暮れへと変わり、やがて完全な闇に包まれる。見渡す限りの暗闇の中、まるで天狗に化かされたかのように心細さが募る。それでも足を止めずに歩き続け、ようやく駅にたどり着いた。そこは目的の駅ではなく、さらに二駅も先の場所だった。

 家族は誰一人怒ることもなく、ただ静かに歩き続けていた。まるで、最初からこの道を知っていたかのように。その姿が、当時の私には不思議でならなかった。しかし今ならわかる。この遠出の本当の目的は、花見ではなく、ただ日常から離れ、時間を過ごすことだったのだ。

 何もない一本道を、ただ無心で歩む時間。そこには、静かな豊かさがあったのだろう。目的地も、時の流れも忘れ、ただ歩く。そんな何気ない時間こそが、最高の贅沢だと、両親は知っていたのかもしれない。

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