終わらぬ旅路
エンディングまでたどり着けなくても、心に残るゲーム体験がある。例えば、友人に「これは面白いぞ」とすすめられ、期待に胸を膨らませて始めたアークザラッドⅡ。やり込み要素の多さに夢中になり、攻略本を片手にじっくりとやり込んだ。
小学校の頃、クラス中で流行していて、誰もがアークの冒険談を語り合っていた。放課後の教室では「昨日、ロマンシングストーンを完成させたよ」とか「ついに不知火を手に入れた!」といった話題が飛び交い、私はその熱狂から置いていかれまいと、急いでさくらやに向かった。
アークザラッドⅡをやり込むためには、データの引き継ぎが可能なアークザラッドⅠからやるのが定石だ。そこでⅠの攻略本を読み込み、装備やアイテムのほとんどを集め、そのデータをⅡにコンバートし、冒険へと乗り出した。
それだけでは足りず、『モンスターゲームwithカジノゲーム』も購入し、友達と対戦し合っては、どちらが強いパーティを作れるかを競った。誰かの家のリビングルームは、現実世界の延長線上にある小さな戦場だった。私たちは熱狂し、白熱し、学校の帰り道では「次はあのモンスターのレベルを上げてみよう」と心に決め、眠れぬ夜を過ごした。
けれど、結局私は物語のエンディングを見届けることはなかった。あの対戦の熱狂が、物語の先を知りたいという気持ちを上回り、私の興味をすべて奪ってしまったのだ。
終盤まで進んでいたのに、そこで足を止めたのは、プレイの長さに疲れてしまったからか、あるいは最初にアークザラッドⅠからプレイしたことで、ゲームシステムに飽きてしまったこともあるかもしれない。ただ、友達との対戦こそが一つの「終わり」であり、それだけで十分満足してしまったのだろう。
今になって思い返してみると、もう一度あの旅を再開させたいという気持ちが湧いてくることもある。けれど、あの膨大なプレイ時間や、ローディング画面の長さを考えると、その気持ちはふっと消え去ってしまう。かつて夢中になったあのゲームの世界は、今の自分には少し遠い場所にあるように感じる。
それでも、エンディングにたどり着けなかったことに後悔はない。未だアークは旅路を続けている。
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