掌に収まる信用
クレジットカードはどんなきっかけで手に入れるものなのだろうか。私は今まで自分名義のカードを持ったことがない。子供の頃はもちろん、成人してからも、社会人になってからも必要がなかった。買い物は現金払いで済ませられる範囲だったし、それで特に不便を感じることもなかった。
結婚式の支払いも現金だった。式の後日、平静を装いながら銀行で大金を下ろし、それを鞄に詰め込んだ。あの厚みのある札束の感触はいまでも覚えている。他に大きな買い物をすることもなかったし、家賃は自動引き落としだったため、カードの必要性を感じたこともなかった。しかし結婚後に家電を購入するとき、妻のクレジットカードで払った際、その便利さに「なるほど」と感心したのを覚えている。
そんな私でも、一応、家族カードを持たされている。「何かあったとき用に」と渡されたが、ほとんど使ったことはない。QRコード決済がある今、カードを出す機会自体が少ない。それなのに、ある日突然、アメリカのAmazonで不正利用され、カードが止められた。メールで不正利用の通知が届いたとき、「アメリカで? 何を?」と妻と二人で顔を見合わせた。買われたのはアウトドア用品だった。確かに「テントがあるといいね」という話はしていたが、アメリカのAmazonでは買わない。その後、すぐに新しいカードが送られてきて、まるで何もなかったかのように、綺麗なままのカードが新品のカードに置き換わった。
自分の名義でクレジットカードを持ち、買い物をするというのはどんな気分なのだろうか。高額な買い物をしても、今すぐお金を払わず、信用で後払いする。レジでカードを差し出すとき、一種の大人の余裕が漂うのだろうか。
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