居場所
小学生の頃、よく通っていた駄菓子屋があった。木の棚に並ぶ色とりどりのお菓子、店内に漂う甘い香り。それらを包み込むように、おばあちゃん店主の優しい声がいつも響いていた。低学年の頃はおばあちゃんが店主だったが、気づけばお姉さんに代わっていた。それでもお姉さんは変わらず、同じように優しい笑顔を向けてくれた。
友達と遊ぶ約束がない日は、ふらっとその店に立ち寄って、お菓子を食べながら、たまたま居合わせた子と遊んだり、店主と何気ないおしゃべりをしたりした。知っている友達に出会えば、そのまま一緒に公園へ行ったり、家で遊んだりもした。
この店は、そんなふうに子どもの私にとっての「居場所」だった。大人にとっての、仕事帰りに寄る馴染みの居酒屋や喫茶店のようなものだろう。子どもも大人も、本質的には変わらない。誰もが自分の拠り所を求め、そこに人とのつながりを見つけたいのだ。
中学生になりたてのある日、懐かしさに駆られてその駄菓子屋を訪れてみた。だが、店はどこか変わっていた。私が変わってしまったのか、それとも店の雰囲気が変わったのか。お姉さんは、忙しそうにレジを打ち、もう以前のような温かさは感じられなかった。ただ、お菓子を買うだけの場所に変わってしまったようだった。
「ここはもう、自分の居る場所じゃないんだな。」
そう感じたことを、今でもはっきりと覚えている。
その時々で、拠り所は変わっていく。そうやって人は、ずっと自分の居場所を探して、いつか無くなって、それでも、探し続ける。