死者に語りかける声
リアル脱出ゲームで死亡したことがある。あれほど悔しい敗北はなかった。目の前にはすべての材料が揃っていたのに、どう組み合わせれば脱出できるかが分からなかったのだ。残された時間は刻一刻と過ぎ、最期の瞬間が訪れたとき、私はただ肩を落とすことしかできなかった。
しかし、あの時こそ、ゲームマスターの真価が発揮される瞬間だった。彼は静かに歩み寄り、柔らかな声でこう語りかけた。
「惜しかったですね。実はこんな風に解けるはずだったんです。」
その言葉には、私たちが成し得なかった成功の形が淡々と語られていた。そして、あの時何に気づくべきだったのか、どこを見ていなかったのかを、ひとつひとつ丁寧に教えてくれた。ゲームの進行をするただのスタッフではなく、まるで敗者の無念を弔う語り部のような佇まいだった。
彼らの演技は、始めは冷静で、どこか冷めた印象さえ受ける。だが、参加者が物語に引き込まれるにつれて、ゲームマスターの温度感も少しずつ変わっていく。焦りを見せる私たちに寄り添うように、言葉に柔らかさが宿り、まるで目の前の悲劇を見守る者のように感じられた。
ゲームマスターのアシストもまた、絶妙だ。あからさまに正解を告げることはない。だが、言葉の端々に含まれる微妙なヒントから、私たちは導かれることになる。「まだ確認していない場所はありませんか?」そのような問いかけに、はっとして見逃していた部分を見直すこともあった。後から思い返せば、彼の言葉は常に正しく、的確だった。それでも、終盤の決定的な局面では彼らは一切の助けを出さない。参加者の生死は、その瞬間、完全に己の手に委ねられるのだ。
時間切れを告げるアラームが鳴り響いたとき、ゲームマスターは私たちの前に歩み出て、勝利の鍵を解き明かしてくれた。解けなかった悔しさ、そして知ってしまった答え。その両方が胸に重くのしかかり、もう二度と同じ謎を楽しむことはできないという残酷な現実を知らされるのだ。
「でも、今回の経験があれば、きっと次は脱出できるはずです。」
彼は優しい微笑みを浮かべながら、そう励ましてくれた。ゲームの失敗を単なる敗北と捉えず、次への糧とさせるその言葉には、不思議と救いがあった。
リアル脱出ゲームの醍醐味は、謎そのものだけでなく、死者に語りかける声の温かさにもある。失敗を受け入れ、答えを知ってしまった悔しさを抱きながら、それでも「次こそは」と思わせてくれるのは、ゲームマスターという存在があってこそだ。彼らは、プレイヤーが敗北から這い上がり、再び挑むその瞬間までをもデザインしている。
いつかまた、彼らの語りかける声を背に、私は生還を果たすことができるだろうか。
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