見出し画像

恐怖の内臓迷宮、三度目

 ワリオランド3のトラウマを書いていて、また幼い頃に苦手だった内臓のことを思い出してしまった。

「ヨッシーアイランド」は優しくユーモラスで不思議な雰囲気が魅力のゲームだ。だが、ヨッシーが敵に食べられ、胃の中へ押し込められる場面は、当時の私にとって恐怖だった。うねうねと動く胃壁の描写がとても気持ち悪く、ボス戦を進めるのをためらった。

「桃太郎電鉄7ギーガボンビー誕生の巻」にも、同じような苦い思い出がある。友達と楽しく遊んでいたはずの桃鉄だったが、突然キングボンビーの体内にギーガボンビーが住み着き、心臓や胃腸が描写されるシーンが現れたのだ。ギーガボンビーの成長とともに、鼓動の音が響く演出も加わり、不安感はピークに達した。それ以来、桃鉄はしばらく封印した。

 ところが、不思議なことに同じ「体内」の描写でも、ピノキオに登場するクジラの体内はさほど気にならなかった。パラサイト・イブも同様だ。ネズミや犬が化け物に変貌する場面もそれほど恐怖を感じなかった。

 もしかすると、私が本当に嫌悪しているのは「内臓のテカリやヌメリ」なのかもしれない。ゲームの中とはいえ、内臓をリアルに感じさせる光沢や動きが、生々しさを強調し、現実感を与えてしまう。ヨッシーアイランドの胃壁や、キングボンビーの鼓動は、そんな「現実の断片」が垣間見えるシーンだったのだろう。

 それに対して、ピノキオのクジラやパラサイト・イブはどこか抽象的で、現実味が薄い。だからこそ、見ていても恐怖心が湧かないのかもしれない。私にとって、ゲームにおける恐怖は単なる視覚情報だけではなく、その表現がいかに「現実と結びついているか」に依存しているように思える。

 今では少しずつ耐性がつき、あの頃ほどの拒否反応は起こらなくなった。それでも、ヌルっとした内臓のテカリやリアルな動きが表現されるシーンには、できることなら二度と出会いたくないと思ってしまうのも本当だ。

いいなと思ったら応援しよう!