豆撒きと種蒔き
幼稚園に入る前のちいちゃんが、いぬのころ、ねこのみいと一緒に節分ごっこを楽しんでいた。紙で作った鬼のお面を被ったり、得意げに「鬼は内!」と声を上げる。その隣で、いぬのころとねこのみいも、ピーナッツの豆まきに参加して跳ね回る。その光景を眺めながら、ふと腑に落ちたことがあった。
小さな子どもは、犬や猫を自身と同じ存在として捉えている。犬や猫の知性は人間の2~3歳程度と聞いたことがあるし、その背丈も子どもと近い。また、保護者がいる「守られるべき存在」として目の当たりにすることも多い。だからこそ、当たり前のように二足歩行し、コミュニケーションができると感じているように思える。
『ちいちゃんとまめまき』を閉じ、ふと奥付に記された作者の住所に目が留まった。現代のように個人情報が厳格に守られる時代とは異なり、どこか牧歌的で素朴な印象を受ける。それとも、これは作者が創作物に対する責任を示すためのものだろうか。もしそうだとしたら、そこには強い覚悟が感じられる。
絵本を通じて何かを感じた読者は、感性そのままに作者へ直接手紙を送ることも珍しくなかっただろう。その手紙が時にオブラートに包まれすぎて伝わらなかったり、逆にそのまま過ぎて誤解を生んだりすることもあっただろう。それでも、その過程を経て、作者も読者も共に磨かれていったに違いない。
また作者と読者に捕らわれずに考えると、絵本は単なる読み物を超えて、生涯を通じて関わる人を育てる教育装置なのかもしれない。絵本の中で繰り広げられる物語は、読者の心に種を蒔き、いずれその声が人の間を流れていく。誰かがそれを見つめながら、また物語を創造する。その螺旋は、時代を超えて私たちの感性と想像力を豊かにし続けているように思える。