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恐怖の内臓迷宮、再び

 生き物の体内を冒険する。現実では不可能だからこそ、フィクションでは定番のストーリーだ。しかし、子供の頃、体内や内臓は本当に嫌いだった。以前に書いたように、ゲームでもこのストーリーが頻繁に登場し、そのたびに不快感と恐怖に苛まれていた。

 『女神転生Ⅱ』は、古いファミコンのゲームで、神と悪魔と人が織り成す世紀末感あふれるストーリーが魅力的だった。乾いた世界観と8ビットで表現されたハードロック音楽の組み合わせがとても良かった。当時のサウンドトラックがプレミア価格で池袋のBOOKOFFに売られていたが、まだあるだろうか。

 しかし、その中で突然訪れるのが、怪物に飲み込まれるイベント。一歩進むごとにダメージを受けるダンジョンでは、腸管のような湿った壁が視覚的に圧迫感を与えてきた。あのときの不快感は言葉にできないほどで、お金を失いつつも脱出した瞬間の安堵感が今でも鮮明に残っている。二度と戻りたくない、と心底思ったものだ。

 また『真・女神転生if…』。七つの大罪をテーマにしたダンジョンを攻略していくが、飽食の世界に逃れられない体内ダンジョンが存在した。

 食欲を抑えきれない魔王の体内に侵入し、その根源を取り除くという展開。壁は顔のように見える粘膜質の表面で、その気味悪さには耐え難いものがあった。画面を通して感じるこの嫌悪感は、私の身体に直接訴えかけてくる。

 大人になった今、あの体内ダンジョンを見ると、耐えられるようになっている自分に気づいた。もちろん、気持ち悪さはあるが、あの頃のような強烈な嫌悪感は薄れている。
 そして、更に気づいたことがある。あのとき、あの嫌な空間にいる間は、他の嫌なことをすっかり忘れていたのだ。現実の煩わしさや心配事が一瞬だけ消えて、ただその不快な空間に没頭していた。体内ダンジョンが好きになることは決してない。しかし、その嫌悪感が持つ意外な側面を見つけたのもまた事実だ。

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