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即興のセール劇場

 高校生の頃、少しでも安くエレキギターを手に入れようと、新年の楽器屋セールに足を運んだ。年明け早々、冷たい風を感じながら自転車を走らせ、期待に胸を膨らませながら店内に入った。

 そこでふと目についたのは、二人組の若い男たち。ロックンローラーやパンクスのような派手な出で立ちではなく、ジャケットにジーンズという、どこにでもいる普通の大学生のようだった。

 彼らは店の隅で、セール品が次々に売れていく様子を、まるで実況中継するかのように楽しんでいた。「お、それ安いね。誰か買うかな?」「あー、もう無くなっちゃったか!」なんて調子で、時折笑い声を上げながらセールの進行を見守っている。

 今で言うライブ配信のようなことだが、当時はガラケーの時代。インターネットで気軽に実況する技術も文化もまだ存在していなかった。彼らの姿は、完全にその場の遊びの延長だった。

 私も最初はその光景をぼんやり眺めていただけだったが、次第に彼らのユニークな行動に引き込まれ、気づけばセールの品々よりも彼らの動きに注目してしまっていた。彼らの一挙一動が、まるでセールのもう一つのイベントのように見えてきたのだ。こうした何気ない遊びの楽しみ方があるのか、と少し感心しながら、私もその「実況」の一部になっていた。

 ふと、店員が彼らをどう見ているのか気になった。もしかしたら、常連客であり、このように店内で遊ぶことに慣れているのかもしれない。店員は、彼らのこうした姿を微笑ましく思いながら、特に咎めることもなく静かに見守っているのだろう。おそらく、最終的には何かしら買って帰るのだろうという期待もあるのだろうか。

 もし仮に、彼らが売れ残りのセール品をわざと選んで買い、その一癖ある品々をどのように使うかを楽しんでいるのだとしたら、それはそれで素敵な遊び方だ。私たちが普通に良いものを選び取って満足するのとは違い、少し変わった物や選ばれなかった物にこそ楽しみを見いだす。そんな楽しみ方も悪くない。

 さて、私が狙っていたエレキギターは、あっという間に売り切れてしまった。きっと、開店から店にいた彼らが最初に手に取ったのだろう。彼らの遊びが、私の目指していたギターと重なっていたのかと思うと少し悔しいが、あの楽しげな様子を思い出すと、まあ仕方ないか、と妙に納得してしまった。

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