![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162356711/rectangle_large_type_2_6303ee300af7bb59db0ff5559c037a2e.jpeg?width=1200)
記憶の檻
働き始めてから家庭を持つまでの間、定時帰りの日々を利用してゲームを楽しんでいた。あの頃、夢中になったタイトルの一つが「ラストストーリー」だ。
友人に誘われて訪れたゲーム音楽コンサート「PRESS START」でテーマ曲を聴き、その美しさに引き込まれたのがきっかけだった。
ゲームを購入し、プレイを始めると、物語に引き込まれ、自分が主人公になったような気分で仲間たちと旅をした。息を呑むような展開に胸が高鳴り、クリアしたときの深い余韻と達成感は、確かに心に刻まれた。
だが今、その「余韻」以外の記憶が、すっぽりと抜け落ちている。ストーリーの詳細も、キャラクターの顔や名前も、まるで霞のように消えてしまった。おかしいと思い、当時Amazonで購入したはずのサウンドトラックを探してみたが、どこにも見当たらない。実家にあるのか、それとも誰かに貸したのだろうか。
さらに奇妙なのは、ストーリーやキャラクターの情報を調べても、それらがあまり馴染みのないものに感じられることだ。もし本当にプレイしていなかったのなら、なぜあの深い感動が、自分の中に残っているのだろう。だがプレイしたのなら、どうしてその記憶がこれほど曖昧なのか。
頭の中に浮かぶのは、断片的なイメージばかりだ。穏やかな街並み、寂しげな旋律、そして確かにそこにいた仲間の姿。しかし、その仲間が誰だったのか、どれだけ思い出そうとしても霧のようにぼやけている。
一つだけ確かなのは、何かが抜け落ちているということだ。欠けた記憶を埋めるために、もう一度「ラストストーリー」を手に取るべきなのだろうか。しかし、心の奥底で真実に近づくことをためらう自分もいる。それがなぜなのか、理由を考えようとするたび、思考が霧散してしまう。
ただの思い違いなのか、それとも何かもっと深い意味が隠されているのか。静寂に包まれた終電の車内で、胸に広がる奇妙な不安を抱えながら、私はただ答えを探していた。