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伸び代の依代

 微に入り細に穿つ説明をするつもりが、ついつい話をしすぎてしまった。情報量が多すぎたせいで咀嚼できず、相手は困惑している。この手の失敗は今でも尽きない。言わなくても分かること、分からないことを選別せず、全て熱量で押し通そうとしてしまうから、悲劇が起きるのだ。

 この経験から、私は説明をする前に儀式を執り行うようにしている。精神を依代に、かつてのある同僚を降ろし、私自身に説明をしてもらうのだ。彼は責任感が強いが、自他の線引きはしっかりしており、理由もなく自己を犠牲にすることが少なかった。口数は多くないが、話し始めれば饒舌な時もあり、とても純粋で、嘘をつけない。そのせいで、プレッシャーに折れ、動けなくなってしまうこともあった。

 そんな彼の声色を借りると、不思議と話題が他人事のように聞こえてくる。すると、話の分かりやすさ、納得度、疑問が浮き彫りになってくるのだ。理路整然と説明するタイプではないが、その分、余計な駆け引きがなく、ただ「伝えたい」という思いがまっすぐに乗っている。

 なぜ彼が適任だったのか。それは、自分でも明確には分からない。ただ、彼のひたむきさには魅力があり、喋りには、つじつまを合わせようとする計算の跡がない。その姿勢が、私にとっては何よりも信頼に足るものだったからかもしれない。

 自分の話が本当に伝わっているのかは、正直なところ分からない。同じ言語を話しているのか。使っている言葉の意味は一致しているのだろうか。そんな疑念が、いつもつきまとう。

 今日も話す機会、説明することは山ほどある。どう伝えようか。私は瞼を閉じ、それから宙を見つめ、顕現の儀式を始めた。

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