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「クエスト攻略」case.35「受け継がれる憧れ」
こんにちは。なんかもう番外編の筈の「クエスト攻略」が、普通の毎日更新のブログと化してきた。実は割とノリノリ。案外ネタに困らない。
さて、今回は「親密性」の才能が発揮出来そうな内容。英雄譚の「キャラ経済」から繋がる、次代の「聖地巡礼という懐古主義次代」への構想を綴ってみようと思う。それでは、はじまりはじまり。
※ちなみに連続更新100日を達成。或いは何か企画をしようかともよぎったけれど…そういうのは、ある程度周囲からのリアクションが期待出来る迄は封印かな。誰かの願いを叶えない時間、というのは中々に貴重だしね。読者が少ない間の特権である。あしからず。
人は何故「憧れ」を抱くのだろうか?
まず大別すると…対象は大きく分けて2つ。「英雄」か「土地」だ。
前者はシンプル。第六天魔王「織田信長」。ギリシャ神話最強「ヘラクレス」。勿論、創作の人物だって大いに結構だ。顧問探偵「シャーロック・ホームズ」や海賊王「ゴールド・ロジャー」、木の葉の里の「歴代火影」。
彼らに憧れた人々は「服装」「立ち振る舞い」「仕草」「クセ」「ゆかりの地」…あらゆる行いにのめり込む。やり過ぎてやばい「コンモドゥス帝」なんかの逸話もあるが、まぁ人様に迷惑をかけなければ大いに結構。そこまでのめり込めるのも結構な幸せだからだ。
さて後者であれば…「姫路城」や「お伊勢さん」、「シルクロード」や「コロッセウム」なんかもあるか。培った年月、紡がれた歴史。そういったものを武器として、観光業を成り立たせる場所。いかんせん古いので、結構不便ではある。坂が急だったり、道が狭かったり。
とはいえ雑に快適、現代化すると「違う、そうじゃない。」という解釈違いが生まれる。ここに関しては、古くて不便で良いのである。
ではココで、一つ貴方に問いたい。
もはや初見ではない観光地に、再び「憧れ」を抱けた事はあるだろうか?
…
奇妙な事だが。
なんで行った事も無い場所に対して、こんなにも「期待値」を高く保てるのだろう?
人は、「誰かの想い出」にこそ憧れを抱く。
十中八九。既に誰かが、貴方に強烈に「想い出」を語ったからだ。
それはネットのブログかもしれないし、YouTubeの動画かもしれない。古文書や碑文だったり、或いは酒場での語りだったかもしれない。いずれにせよ、そこで初めて情報に「意味」が加わって、「じゃあ”自分も”いつか行ってみよう!」と唆られるわけだ。ココで初めて「憧れ」が生じるのである。
「熱狂的なファン」は、「英雄」にこそ喰いつく。
さて、ココで振り返ってみよう。「英雄」と「土地」。より「オタク」が生まれやすい対象はどちらだったか?
一択だ。「英雄」である。
即ち「キャラ経済」の本質とは、「熱狂的なファン」を生み出し、彼らが新たな伝道士となり、そして一般の方たちに「強烈な憧れ」を抱いてもらう事にある。
「聖地」を作る力がある、と言い換えても良い。
そしてそこまでして初めて「英雄ゆかりの地」=「聖地」として、土地に根付いたビジネスが成立する。お土産屋さんや歴史館、当時の文化背景や裏話、旅のガイドに宿泊業。地元の人がみんな「英雄」にあやかって発展するから、結果的にその「土地」にもファンが出来る。そうして話が大きくなるほどに「熱狂的なファン」が生まれて、新規の顧客が土地を訪れて…益々「聖地」が発展していく、という流れなのである。
そうして年月が積み重なると…
「歴史」という、最強の「意味がある」。
これが完成形だ。
何せ大元の「英雄」は良いとこ80年が限度だし、彼より若いファンが語り継いでも+20年程度。形の無いエピソードでは、やはり風化は必至。どうしても「物質」として遺さないと「聖地」は廃れてしまう。
オンライン全盛のこの時代ではあるが、だからこそ流行り廃りが早過ぎる。現実世界の物質として、存在の楔を打たねばならない訳だ。
こうして物質化さえ出来れば、後は後の世代が「伝説」を語り継いでくれる。誰かが当時の思い出を紡ぐ事で、また別の誰かの憧れとなり、そして現地で昔を振り返って想いに浸る、という訳だ。
基本はコレが、キャラ経済=英雄譚の時代の完成形だと思っている。
まとめ。
「キャラ経済」の肝は「聖地作成」。ファンとの想い出が、次世代の「憧れ」に成る様に設計しよう。実店舗にしろ地元にしろ、物質化しないと「経済」としては片手落ち。「思い出話」の効力、消して甘く見ることなかれ。
おまけ。
とはいえ今は「集落の時代」。なので、コレを現実的に運用するのであれば…
「白川郷」という、「集落の聖地」。
コッチが現実的だと考える。
このケースは幾分特殊で、「英雄」の部分が「当時の住民」という群体で語られるケースである。「個」の時代から、「集落」の時代としての「聖地化」に成功した例。
恐らくこれからは、こういった「独自文化の集落」を地域に根差して物質化するプロジェクトが強い筈だ。具体的には、「えんとつ町」。salon.jp/nishino
試しに、「白川郷の集落」を「英雄譚」にしてみる。
確か元は、住民たちが生活する場所として開拓され、強い家を作り、助け合い、商業として蚕を育て、それが火薬の生産に繋がり、しかしそれもやがて不要になり。本来ならココで滅びてもおかしくはない条件の筈なのだが。ところがどっこい。
今もこうして、「観光地」という形で生き残っている。まるで、人の成長にも似た進化具合。
マズローの欲求5段解説になぞれば、
①生存の欲求:陸の孤島での生活。大ピンチ。
②安全の欲求:豪雪にも耐えられる、強固な家屋を建造。
③所属の欲求:「結」という助け合い文化の発生。
④愛の欲求:「蚕、火薬」による、より大きな世界との交流。「役に立つ」。
⑤自己実現の欲求:ただ「ある」というだけで成立する、「観光地」として唯一無二の価値。「意味がある」。
と言えるだろうか。
どうやら「物語性」が育まれると、「英雄」の位置が「個」か「集落」かはあまり問題では無くなるのかもしれない。
※というかなんなら、後から「英雄」を生み出すケースもある。ご当地のゆるキャラ、くまモンや、ひこにゃんとか。
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最後まで読んでいただき、ありがとうございました!
貴重なお時間、御馳走です!!
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