【番外】中崎が思う『カルマ』について。【数秘術】
おはようございます。普段はこちらの『数秘術鑑定』記事を投稿している中崎です。よろしくお願いします。
さて、いつもであれば『毎週土曜日の18:00』に必ず鑑定記事を投稿する所ではありますが、今回は少し趣向を変えて番外編。
今記事では『中崎が考える"業"の存在理由』についての解釈をつらつらと綴ります。
私の扱う『現代数秘術』においての特殊な数字、『13』『14』『16』『19』という4種のカルマナンバーが数秘上に現れた方への解説回になればこれ幸い。
それではしばし、お付き合いくださいませ。
■"業"が現れるとどうなるか?
数秘『13』であれば『障害』や『困難』に遭遇し、
数秘『14』であれば『依存』や『中毒』に耽溺し、
数秘『16』であれば『妄信』や『陰謀』に傾倒し、
そして私の
数秘『19』であれば『圧政』や『迫害』に苛まれるケースが割と多いかと。
これらが『魂』に現れれば「隠されたミッション」として日々達成し、
これらが『肉体』に現れれば「主題的なシナリオ」として日々を経る。
他にも『ココロ』『外見』『才能』『時期』などなど"何処に現れるか?"によって多少の意味は移ろうものの…
大雑把に共通点を挙げましょう。
"業"が数秘に現れると、
→様々な形で「停滞」に遭遇するのです。
■"業"は前世の罪か?
断言は出来ませんが、生憎中崎は『NO』と考えます。
と、いいますか…
例えば私たちが『勝手に他の国の罪人を釈放してはならない』ように、「罪の理由」も「村の作法」も「当時の事情」も何一つ知らないままに『代理で罪を償う』はとても失礼です。
良かれと思って"多分イイコト"をした所で、それで誰かが喜ばないのなら結局ただの自己満足に過ぎません。
己を勝手に自罰して、しかも勝手に許される為に謎に行動し、そして結果勝手に"誰か"に救われたがるとしたら…それはもう"ただのコント"では?
甘えてはいけません。
少なくとも私は『勝手に罰を許す権限』を全く持たぬので、当然
→『償えもしない謎の罪』を一方的に世間に押し付ける気は一切ありません。
■では、何故『停滞』に遭遇するか?
ここからは更に私の解釈です。
理由はシンプル。
己自身の『克服の為に足掻く』その勢いで、さながら決壊するが如く
→周囲の停滞をも"ついでに"解消してあげる為。
ですね。
何せ『業』を乗り越えると新たな恩恵が産まれます。
『13』であれば「物理的な克服」或いは「変容」「仕組み化」が。
『14』であれば「生と死の境界」に対する「誠実」「癒し」など。
『16』であれば「真と嘘の玉石」を見分ける「本質」「錬金」が。
『19』であれば「勇気と告発」によって「革命」「革新」が起きる等…
得てしてその克服には『誰かの止まった物語を再開する』という属性が付与されます。
どうも『自分だけ救われればイイ』とは全く反対に、まるで『せめて周囲みんなをも救わないと納得いかない』のが『業』のもたらす課題かと。
そう考えると、やはり『罰を濯いでしれっとFIREする』という逃げの姿勢は不向きです。
というか、そのセルフ釈放は最悪『自殺』に行き着くので本当に大罪がループです。
願わくばどうか、「己を恨む」よりも気高く「世界をも救える」という形で確かな誇りを持って生きて欲しい。
■まとめ。
→"業"とは、『周囲の物語にも寄り添う実績』を証明するモノである。
知ってか知らずか、実際に『業』を担う者程何かしらの強い『後悔』『未練』を抱えがち。
そうして「痛み」や「罪」を深く知る者だからこそ、きっと寄り添える"自罰"の流行を断ち切れます。
どうせ『罰を濯ぐ』を目指すなら、どうかこうして『まとめて救う』で気合を入れて頂ければこれ幸い。
大変苦しい人生ですが、どうかお互いに頑張りましょう。
それでは、また来週。