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私の恩師その2

私の人生はたくさんの人に助けられてきた。その積み重ねが今を形作っている。その今の私を形成するきっかけとなった人の中から一人を紹介する。

その人は私の通った大学の教授である。

量子力学の授業を担当していた。

私は量子力学に興味津々だったので、授業終わりによく教授を質問攻めをしていた。

そんな出会いだったが、
私が大学3年生のとき、私は人生の道を踏み外しかけていた。いろんな人生の生き方があると思うのでどれが正解とは言えないが、少なくとも私にとっては人生の岐路だったと思う。

私は進学に必須の授業のこれ以上休んだら単位がもらえなくなるという日に休んだ。

つまり、留年が決定したということだ。

私は大学を辞めるつもりだった。

母方の祖父母の家で暮らしていたが、その家も飛び出して実家に帰ってきた。

今思えば就職活動を目前に控えて、自分の経験の無さが怖くなって逃げ出したのだ。

激安のアパートを探し、仕事を見つけ、テニスのために生きると決めて新しい新天地へと向かっていた。

大学の友達(この後も事ある毎に連絡をくれて大学と私を繋いでくれていた。ある意味この友達も恩人である。)から、大学の教授(恩師)が話があるという連絡が来た。

私は素直に恩師に会いに行った。

何をどう言われたか定かではないが、
「かならず、帰ってこいよ。」
と言われた。

その時の私は新しい暮らしに心奪われていたのでなんのこっちゃと思ったが、心には刺さっていた。

私は新しい暮らしで目標を立てていた。お金を貯めて世界一周旅行に行くという。

しかし、暮らしを進めていく中で、何かが違う。という想いが大きくなっていった。

世界一周なんて今じゃなくて歳を取ってから行けばいいと思った。それよりも、私は学問を学びたくなっていた。

恩師の
「帰ってこいよ」
という言葉に導かれるように私は大学に戻った。

実際は母親がかなり骨を折っていたようで各所に挨拶や手続きをしてくれていたから、スムーズに大学に戻れた。

私は研究室の配属の際に恩師の研究室を選んだ。

少しでも恩返しがしたかったからだ。

結果的には恩を仇で返す結果が待っているのだから人生とはなんて皮肉なものであろう。

結論だけ書くと、私は恩師が推薦してくれた他大学の博士課程後期(ドクター)への進学を土壇場でキャンセルした。

恩師は定年だったので、恩師の元でドクターを取得するという選択肢は無かった。

今でもこの時の選択に対して思い返しては悔やんだりもする。

しかし、私は今の人生に満足している。人生の道は一つではない。正解はたくさんあるんだ。

選んだ道で最善を尽くすことが私にできること。

私は恩師に直接恩返しは出来ないし、できなくても構わないと思っている。

私はたくさんの人に支えられて生きているから、社会に少しでも還元出来ればいいと思っている。

私が社会の役に立つ人材になること。

これを目指すことが私に出来る最大の恩返しかなと思っている。

まだまだ未熟で道半ばだし、精神や暮らしは不安定だけれども、人生は長い。

諦めなければきっと願いに近づけるはず。

そう信じている。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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