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私の恩師(ガンダムオンラインというゲーム)その3

私は統合失調症という病気になった後、実家で引きこもっていた。何をやっていたかというとひたすらゲームをやっていた。

ガンダムオンラインは引きこもりを脱するきっかけとなったり、団体行動という社会生活における基礎を学んだり、戦略という勝利や敗北に繋がる考え方を教えてもらったり、様々なことを教わったゲームである。

しかし、2022年3月に9年目にしてサービス終了となる予定だ。

ガンダムオンラインというゲームに出会ってなかったらもしかしたら私はまだ引きこもっていたかもしれない。

ガンダムオンラインとの出会いは、ちょうど私が他のいろんな対人シューティングゲームに辟易していた頃だった。

一人のミスがチームの勝敗に大きく左右し、それが私には負担だった。

そんな中、51人対51人の対戦ゲームのサービスが開始されようとしていた。ガンダムという私の好きなコンテンツで、しかも、戦場に慣れないうちは、コンテナ回収という戦えなくても戦場に貢献できる役割が与えられてあった。※今でこそコンテナ回収はデイリーミッションの中で嫌なミッションの最たるものだが、サービス開始当時は、私には魅力的に思えた。

初めのうちは、操作に夢中で指示が出ているチャットを見る余裕は無かった。戦場の見方も分からなかった。

覚えているのはジャブロー(戦場の一つ)にて狭い通路にチャージバズーカ(広範囲を攻撃できる武器)を放り込んでいたのを記憶している。

色々慣れてきた頃、今度はパソコンのスペックが足りていないことが苦になった。

バズ格(バズーカを打って、相手がダウン、行動不能になっているところを格闘で確殺するコンボ)などが決まらないし、カクカクして思ったように操作できないことがフラストレーションになった。

そこで、グラフィックカードを買って(どうやって買ったか覚えていない)差し替えたら、サクサク動くようになった。スコアも伸びて楽しかった。

しかし、それは一瞬だった。

なぜかは分からないが、わずか数日でグラフィックカードが故障したのだ。

私は困惑した。

いいスペックのパソコンがあれば、もっと楽しめるのにな、と。

当時、家でもほとんど言葉を発していなかったのだが父親にパソコンの購入を頼んだ。

父親は、了承してくれた。

こうして私の楽しいガンオン生活が始まった。

しかし、父親に恩があるので父親の勧める有名な先生の治療を受け教育入院をし、社会復帰。とはならず、また、引きこもりの生活を送った。今度はガンオンと共に。

社会復帰への経緯は⇩の話を読んでください。


なにはともあれ私は社会復帰を果たした。ガンオンで得た社会経験と共に。


ガンオンで得た経験が実際に会社でも役立った話もある。

ガンオンで得た経験のひとつは、『負け筋の戦略を取ると必ず負ける』である。

基本的には戦略は勝つためのものだが、負け筋というものがあった。必ず勝つ方法は私には分からないが、『ここで頑張らないと負ける』という踏ん張りどころは分かった。

社会復帰した後、就職した会社の偉い人から納得できない内容の指示をされた時、私は『これは負け筋だ』と思ったので、踏ん張った。言われた内容の提出プラス、私からの提案という形で回答したのだ。

当然、偉い人にはすぐには受け入れられなかった。ある偉い人には「言われた事だけやっていれば良い!」とまで言われた。しかし、その後、調査も進み、理解してくれる人も現れ、私の提案が採用された。

決して私は上手いプレイヤーでは無い。戦場に与える影響も当然小さい。しかし、影響力の小さい一人のプレイヤーであっても、負け筋を潰すような動きをすることで勝ちにつなげることができることをガンダムオンラインで学んだ。

私にとって恩師であるガンダムオンラインがその歴史に終わりを告げるのを哀悼の意を持って感謝の念をこの記事に記します。

ありがとうございました。そして、お疲れさまです。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

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