ゴールデンウィークで平坦な日々を過ごしているので徒然書きながら振り返り 2022
ちょっと前まで、私は「自分は立派な人物になって社会から認められるようになる」と意気込んでいたのだが、生活は変えず(むしろ向上)、その心意気は捨てた話。
捨てた方が良いかどうかの判断は私は下していない。ただ、成り行き上、そのような考えに行き着いた。安きに流れるというがそういうことかもしれない。
最近の主な悩みはSNSに投稿するネタが無い。ぐらいである。すごく平坦な日々を過ごしている。
一つの大きなきっかけとして、結婚への諦め、があると思う。
もう一つは病気持ちとして働くことの限界点を知ったからかもしれない。
社会復帰した時、私は病気を克服して普通の人と同じように働けると信じていた。
しかし、減薬の過程で自分の頭はすでに壊れていて薬のおかげで日常生活を無事に過ごせているのだと分かった。
ランドセンという薬を減らすと一時的には頭はすっきりして活動的になる。
※ランドセンは統合失調症とは関係無い薬ですが、脳神経に作用する薬です。
しかし、数ヶ月の時間が経つと頭はクリアになりすぎて頭痛がするようになる。身体は強張り、すぐに過呼吸ぎみになる。緊張感で苛立ち引き金が引かれると感情が暴発する。
しかし、薬を飲めば何ということはない。あっという間に緊張感が解けてクリアで過敏だった頭のアンテナにフタがされるような感覚を味わう。
引きこもっていてれば薬を飲まなくてもいい暮らしができるかもしれない。刺激が少なければいつか頭が慣れるかもしれない。しかし、私は今は仕事をしている。刺激は多少なりともある。私は薬を飲みながら仕事をする暮らしを選んだ。
私の場合は、薬を飲んで仕事をするということは薬で抑え込んでいるだけということ。無理をしたら身体は悲鳴を上げる。
無理できるキャパが当初思っていたよりも相当小さかったというだけ。
しかし、枠を守っていれば普通に暮らせる。
だから、自分に高望みをするのは辞めた。
私は期待したりされたりするのはあまり好きじゃない。言葉だけで人を操るのは好きじゃない。私は行動が好きだ。行動で示してくれる人を尊敬するし自分もそう有りたいと願う。
それがなぜ自分に期待をしていたのだろうかと、今は思う。
自分は自分の望みを満たす行動をしてきたのかと。
答えはイエスでもありノーでもある。私はできる範囲内で行動はしてきた。しかし、私の望みは高すぎた。それを叶えるには私の身体は適していなかった。
だから、手放すことを今は心がけている。余計な思考は手放す。悩むのが好きで悩むのが人生だと思っていた時期もあった。しかし、私には負担になりすぎると気付いた。
そこそこの人生でいいんだと気づいた。もちろん、私は高みを目指し続ける。自分の可能性を信じて。しかし、ブレーキを踏みながら。
結婚を完全に諦めた訳ではない。ご縁があれば結婚したい。結婚したら、多少の無理はするかもしれないと考えている。
結婚相談所での婚活はまず無理だろうと思っている。1年間ぐらいは様子を見ようと思うが、普通の人でも苦戦するのに精神障害者をオープンにしてかつ低所得な私が選ばれる理由が思いつかない。
婚活的なステータスが低い場合は恋愛戦略というのを用いるのが良いとある本には書いてあった。
しかし、日常生活から恋愛で結婚に至るのは若い内が大半だとどっかに書いてあった。
恋に年齢なんて関係無い!と言いたいところだけども年とともに臆病になって自信を失っていく自分がいる。
結婚を望むが積極的には行動しない。それが私の今の答え。
仕事も望むが積極的には仕事しない。それが私の今の答え。
ただひたすら読書だけは続けている。いつかきっと新しい道が開かれると信じて。
SNSはアウトプットの練習を兼ねて継続していけたらと思っています。
※あくまで、私個人の体験なので薬については主治医に相談の上で決めてください。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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