不登校に対するクラスの子のホンネ
私は高校生の小論文の指導をしています。不登校をテーマに小論文を書かせると、子どもたちのホンネがものすごく出てきます。
まず、不登校を経験したことがある子とない子で、受け止め方が分かれます。そしてもう一つの論点が、不登校になった子ども本人に原因があるとするか、周囲にあるとするか、という点です。
今回は、自分は不登校ではない子が、身近にいる不登校の子にどのような思いを持っているかよく分かる文例をご紹介します。
(いずれも生徒が書いた文そのものではなく、ぽんすけが要約したものです)
①自分は不登校ではないが、不登校は周囲に原因があると考えている場合:
「小学校のころ、同じクラスに不登校の子がいた。その子が不登校になったきっかけはいじめだった。私はいじめがあるのは知っていたが、別のグループだったので深く関わらなかった。今思うと、自分とは関係ないと思う人が多く、誰もその子を助けてあげようとしなかったことが、不登校に繋がってしまったと思い、後悔している。いじめる人より、いじめに関わっていない人の方が多いのだから、皆で協力していじめる人を注意したり、いじめがないように見張ることもできたのではないかと思う。」
②自分は不登校ではないが、不登校は本人に原因があると考えている場合:
「小中学校と、不登校は常にクラスに一人はいた。それが、中学校、高校になるにつれて、不登校の数は増えているように思う。不登校になる理由は様々だろうが、コロナ禍以降、ただ面倒くさいという理由だけで来なくなった人がいると聞いている。正直、その人たちは将来どうするつもりなのだろうと思う。誰とも会わないと確かに傷つかないかもしれないが、いつまでも家に引きこもっていて何も学ばず誰とも話さず、自分を成長させる機会を手放していいのだろうか。それは甘えでしかないと思う」
①と②では、②のように書く子の方が多いと思います。その書き方を見ていると、「学校に行かないという甘えが許されているのがズルい」という気持ちが行間に出ていることが多いです。
不登校のほかに「苦登校」という言葉があるそうで、学校に一応登校しているけど学校にいる時間が非常に苦痛である状態を指すそうです。苦登校の状態も、「学校が好きではない」、「面倒だから休めるなら休みたい」という比較的軽いものから、「いじめがどんどんエスカレートしている」という一刻の猶予もならない状態もあるでしょう。
不登校に厳しい意見を持つ生徒は、自分自身が何かストレスを感じる環境下にいるように思います。例えば、「偏差値の高い大学に行きなさい」、「推薦入試が受けられるよう、部活でいい成績を残しなさい」など。多少自分の曲げてでも周囲の期待に応えるために取り組んでいることがある場合、不登校というのは、その役割を放棄して、ただダラけている、と感じてしまうのかもしれません。
ですので、不登校の生徒を学校に行かせたいのであれば、不登校の生徒だけをカウンセリングしたりするのではなく、不登校の生徒を迎えるクラスの子たちが抱える心の闇的なものもケアをする必要があるように思います。
そして何よりも「学校に行きたい人は行く、どうしても行けない人は他の方法を使う」という考え方が定着してくれれば、不登校の生徒もそうでない生徒も、生きづらさのない世の中になるのではないでしょうか。
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