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いいね前提の情報は嫌いだ

地続きに感じれる情報を私は好む。
放り投げされたようなニュースは、
はっきり言ってどうでもいい。
それは悲惨な事件や事故であっても。
それは感情的であっても。
道理に適ってない物言いであっても。
別にかまわない。
どちらかといえば、
「ロジックとして綻びなき、
ごもっともで御座います」
こういうのを、
放り投げされた情報と指している。
「ほら、正論でしょ?ほら、
共感する人多いでしょ?
だって合理的だからね」
と放り投げされる情報。
きっと合理を担保にされてるのだろう。
社会や一定の人数で出来ている
共同体においては
信用される情報なのだろう。
でも、実感が湧かない。
私が鈍感で屈折した人間だから、
かもしれないが、そんな情報、
特別に発しなくてもよくないか?
黙ってればいいじゃない。

止むに止まれずに
つい口にしてしまった
というのが好ましい。
もっと言えば
「しとろん(みうらともいう)さん
あなたにだけに言いたい」
というのだったら尚良い。
そんな切実な情報だったら、
理に適っていなくても信じてしまう。
つまり覚悟が宿っているというやつ。

なぜに最近、ツィッターランドよりもnoteをたくさん読んでるかと云えば、そんな個人的な地続きの情報があるから。
誰もわからんでいい、言いたいことあるんだよっていうニュースにワクワクする。
noteで新しく知った人の記事、かなり過去まで遡って読んでる。

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