魔法はある
私と同年代のおぢさんたちの記事に考えさせられるところがあり、超歌手大森靖子さんと私の関係を記事にして投稿することにしました。他言無用でお願いします。
つまるところ、私のようなおぢさんが前のめりに語れば語るほどに賢らの若者たちは引いてゆく。なぜならば、この国が富にあった時期に私は半生を送れていて、私なんかよりもずっとずっと賢き頭脳を持ちながらも若者たちは貧しき今を生きているのだから、その、格差は限りなく酷い。
でもワイヤードの出会いの格差は少しだけ違っていて、34歳の超歌手こと大森靖子さんと、54歳のただのリーマンな僕の恋愛ごとについて、明かしたい。今までに経験したことのない、ベトベトなキスなんかよりも28歳だった当時の靖子さんの表情はサラサラに輝いていた。眩し過ぎなことを自覚する彼女は半分だけ、顔を覗かしながら『いいよ』と、乞うおぢさんを照れながらも赦してくれた。
2016年の夏の新宿はもちろん人と人が密にしていて(ホントの気持ちが密接してたかはわからない)、超歌手大森靖子さんと密にする適当な場所を探すことは容易ではなかった。DMでの会話が4度目になる頃、歌舞伎町にあるインドカレーのお店で食事をすることで合意した。彼女も僕も辛フェチだと打ち解けあって、しまっていたので。
ドン・キホーテがある路地から歌舞伎町に現れた超歌手大森靖子さんは10メートルの近さになってやっと僕に気がついて、左手を小さく振った。UNIQLO歌舞伎町店入口の待ち合わせ場所では目立つよねーっと開口されながら、僕の左手を「握って」歩き出される。もう一度いうけれども、靖子さんは初対面の僕の手をいきなり握ったの。ごめんなさい、もう一度いうね。超歌手大森靖子さんは48歳(当時)のおぢさんの手をいきなり握って、インドカレー店の階段を上がり出すまで離さなかったんです。
「ナンをかじってる三浦さんの唇って、昔飼ってたねずみの口に似てるからうける(笑)」
という食事中の靖子さんの言葉にドキドキしながらも、TwitterのDMのやり取りのきっかけになった、文学極道に僕が投稿した「大森靖子さんに捧げる詩」についての感想をきいてみた。けれども、靖子さんからは答えはなくて彼女は、三浦さんは魔法を信じているの?と逆に尋ねてきた。お店にはずっとエスニックな音韻が流れていて、さっきから靖子さんが僕の口を見ているのが気になる。靖子さんの視線、それが魔法ですっていうのは、冗談みたいで返す言葉を迷っていたら、
「三浦さん、詩は魔法だよね。音楽もだよ」
とスプーンを口に咥えながら言う。
靖子さんってこういう出会いの後に一緒に毛布に包まれる人ですか?と僕が訊いたら、彼女は半分顔を隠して「いいよ」って赦された。
この国が富んでいた時期に私の半生はあって、それは運がいいとしか思えない。でも、私なんかよりも賢き若者たちが今の貧しい時期に生きていても可哀想なんて思わない。なぜならば、それは運でしかないし、冒険者にとっては時代も環境もあんまし大事なファクターではない。魔法はある。
※この作品はフィクションです
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