息子の英語教育から感じた英語早期教育の重要性
私は6歳の息子を現地校に入れました。
9月時点で6歳だったので、日本では年長でしたがこちらでは2年生(Year2)です。
彼には全く英語を教えてきませんでした。
なので授業では言っていることが分からず退屈なようです。
しばしば授業中に立ち歩いてしまうようで、教師からまだまだ特別なサポートが必要ですとメールが来ます。
こちらとしても学校に丸投げするのではなく、家で少しずつ英語を教えています。
タブレットでDuolingoを1日30分やらせることにしました。
可愛いキャラがフォニックスやアルファベットの書取り、簡単なストーリーなどを助けてくれます。
息子も早く学校の友達と話したいからと、毎日文句を言いながらもしっかりやってくれています。
また小学校の宿題で、絵本の音読があります。
息子のレベルに合わせて、3、4歳向けの絵本を貸してくれて、週に2回取り替えられます。
昨日はこの絵本を息子と一緒に読みました。
しかし、私にも分からない単語がたくさんあります。
nag ガミガミ言う
sip pop 炭酸飲料を飲む
dame おばちゃん
私はこれまでIELTSを勉強してきました。
しかしいつまで経ってもネイティブ同士の日常会話に入れません。
実は、ビジネス会話よりも日常会話の方が難しく、その理由としてこれらような子供の頃からの表現の蓄積がないからではないかと考えています。
例えば、日本人は「どんぶらこ」と聞けば桃が川に浮いている様子を思い浮かべます。
「玉手箱」「竜宮城」も聞けばすぐにイメージできるでしょう。
英語版森のくまさんの歌詞に「He sized up me」というフレーズが出てきます。
彼は私を測った?とイメージが混乱しますが「見定めた」という意味になります。
このような蓄積を大人になってから体系的に行うのは不可能です。
なので日常会話は諦め、仕事上の意思疎通に全振りするしかありません。
しかし私の息子はまだ間に合うのです。
特にロンドンは多様性の街であり、学校の友達もルーツは様々です。
多様性の中でネイティブ英語と日本語を操り、今後どのように成長していくのか楽しみでなりません。
先日小学校でイスラエルとガザの紛争について議論しようという企画がありました。
しかし様々な背景の子どもが集まっているため中止になっていました。
まさに多様性を象徴している出来事でした。
将来翻訳機器が発達して英語の勉強が無駄になるかもしれないと思っている人がいるかもしれません。
しかし英語のこのような日常会話的なニュアンスや、多様性における国際的なマナーに関して翻訳機器が助けてくれることはありません。
日本の教育は素晴らしいし、落ち着いて机に向かえる子どもであれば手放すべきではないと思います。
しかし今は日本で英語教育やインターナショナルスクールに入れるより、現地校に入れて良かったなと感じています。