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AAEE国際学生交流プログラムの進化(1)「友情を深める」交流→「特定課題調査型」交流


AAEEのホームページには これまでの学生交流に関して図で表した、
AAEE Historyというものが記載されている。
http://aaee.jp/about/

2008年に「現地の人々との交流を通じた学び」を目的に始めた国際交流プログラム。2012年からは「現地の学生との交流プログラム」に変容する。さらに2013年以降は、学生交流に国際協力や特定課題調査の要素も加わり、毎プログラム設定したテーマについて、交流を通じて議論し発信するようになった。いずれにおいても一貫しているのは「交流」を通じた学び。

大瀬自身、2019年のベトナムー日本学生交流プロジェクトをオーガナイズする際、ベトナムのオーガナイザーと約10ヶ月前から連絡を取り続け、テーマ決定にとてつもなく苦労した。
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ベトナムでの第一回プログラム終了時、満足感に浸る関はベトナムの学生から、「来年からが勝負ですよ!」と伝えられ、さらに気を引き締めた。

「それ以降、ベトナムプログラムはどのように進化して今に至ったのですか?ベトナムに知り合いが誰もいなかった無名な方が、ベトナムの教育アドバイザーに就任するまでの道のりに興味があります。ずっと現地の学生たちと活動していたのですよね。」

重要な学会研究発表を終えたばかりで疲れていることを大瀬は知っていたが、関はAAEEのことになると疲れを忘れてしまう関のことも熟知していた。不躾な質問攻撃にも関は喜んで応じることを。

「僕はね、大学卒業してからずっと教育者として活動しているから、学生の目や表情を見ればその人の『本気度』みたいなものはすぐわかってしまう。さらにスワンとは既に1年半以上も連絡を取り続けていたから、『来年からが勝負ですよ!』と言ったときの眼差しから彼女の本気度を確信した。だから、『来年のプログラムの準備はあなたに任せます。失敗しても全責任は僕がとるからすきにやってください。いや、多分失敗しないよ。』と言い残して帰国した。」

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「え、当時から大きなプログラム準備を大学生に任せたのですか?学生に任せるリスクは考えなかったのですか。」(写真は関に全権委任されたベトナムの学生オーガナイザーたち、右中央がスワン、右手前が関)

目標設定理論っていうのがある。それによれば、人は最大限の努力によってのみ達成出来るタスクを目標に設定することで、最高のパフォーマンスを発揮できる。当時のスワンにはこのレベルのタスクが必要だと思った。」

「さらに、彼女には学習に対して能動的姿勢が見て取れた。僕が普段見ている圧倒的多数の受動的学習者と彼女は明らかに違った。課題を与えられるのを待つのではなく、自分から課題を見つける楽しみ、言い換えれば『自ら学ぶ』姿勢を備えていた。この類の学生には余計な口出しは逆効果。」

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関の期待を裏切らず、一ヵ月後にはスワンから詳細なリフレクション・レポートが送られてきた。

「友情を深める観点で、このプログラムはベトナム参加者から高い評価を受けた。一方で『大学生としての学び』の観点では不十分。ベトナムの学生は観光目的でプログラムに参加しているわけではない。両国の学生が明確な学びを得る必要がある。」

鋭い指摘だった。確かに、日本の学生からすれば初めて訪れる未知の国。食べる物も見る物も新鮮。そこにいるだけで異文化体験となり得るが、ホスト国の学生は違う。彼らにとっても「自己の成長を実感できるもの」にしなければ不公平である。

そこで導入したのが特定課題調査型交流だった。両国の学生が共通のテーマに向かって協働するこのスタイルは、2014年に「グリーン・ビジネス」をテーマとしてスタートし、以来現在に至るまで、様々なテーマを軸に、AAEEの全ての国際交流プログラムで行われている。なお、友情が深まることには変わりはない。(下の写真は2014年プログラムのベトナム学生募集ポスター)

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プログラム開催5か月前、ベトナムオーガナイザーからこんな準備リストが届いた。
 1.日本の学生生活紹介動画
 2.「日本の環境問題とそれに対するアプローチ」のPPTプレゼン
 3.「日本の環境問題とそれに対するアプローチ」を模型で表したものとその説明
 4.日本の伝統舞踊などのパフォーマンスと合唱
 5.日本の伝統的な遊び、日本衣装のファッションショー
 6.日本を示す音楽・歌10曲のMP3ファイル。それぞれの歌に込められたメッセージ
(すべて英語で)

関はすかさず、スワンに連絡を取り弱気にこう言った。
「流石にこれをすべて準備するのは厳しいかもしれない。」

「関先生に『あなたに任せる』と言われたから、学生生活をかけて本気でやってきました。後戻りさせないでください。」
スワンはすかさずこう切り返してきた。既にベトナム行政府に様々な資料を提出していたらしい。

そこからは、日本の学生たちとほぼ毎週集まって必死に準備した。日本の水道システムの模型を含め、ほぼ全てを準備してからベトナムの地に降り立った。

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大瀬「え、どうやって日本の学生を事前に本気にさせることができたのですか。私が関わっている最近のプログラムでは日本の参加者が事前準備をなかなか上手くやってくれなくて困りましたが・・・」

「この時は、前年度のプログラムに参加した学生たちも複数含まれていたからね。現地の学生の‟本気度”が身に染みてわかっていた学生が先頭に立ってくれた。悲壮感すら漂っていたね。」
関のメッセージを真剣に受け止めてくれた彼らは、ほぼ毎週集まって準備を重ねてくれた。

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ベトナムでは関の想像を遥かに超える、入念に作りこまれたプログラムが待っていた。

ホーチミン市では、ベトナムで「グリーンビジネス」を展開するアメリカ有名事業代表者たちによるワークショップ、有名大学教授による環境問題の講義、企業・ホーチミン市全大学生に公開された「グリーン・フェア」(全国テレビニュース報道)が行われた。ベトナム学生は、2030年をめどにした「AAEE模擬会社」の巨大模型を披露。ベトナム国内の全ての環境問題を扱う「夢のグリーンビジネスモデル」だった。(下の写真は真剣に議論する日本とベトナム学生。)

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5日間のフィールドワークはスワンさんの地元ビンフック省で開催した。

後にスワンはこう打ち明けて、関を凍り付かせた。
「先生、自分の地元でやることがどれだけ勇気のいることだったかわかりますか。成功すればいいですけど、失敗すれば家族を含めて大恥をかくのですよ。私と家族に致命的な傷がつく。そういう国なのですよ。ベトナムは。」

しかし、幸いにもビンフック省でのプログラムは大成功。

その立役者は他でもない、前ブログで紹介した(サングラス青年)ユイさん。英語教師だった彼はその時、若手政治家としてベトナム共産党のユースユニオンを牽引していた。彼は2011年に私と話し合ったことを見事に具現化して見せたのである。

「ベトナム政府公認」のパワーは想像を絶していた。全行程テレビ局密着。毎日その様子が報道された。訪問した小学校や高校でも、学校を挙げた大歓声で迎えられた。プログラム参加学生は、ベトナムに欠かせない中秋節のイベント「 MOON FESTIVAL(ムーン・フェスティバル)」のコンサートイベント主役になり、巨大ホール「ビンフック・ホール」で1000人の観客に向けて歌い、踊り、ファッションショーを披露した。

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テーマであるグリーンビジネスに関しては、現地の特産品であるカシューナッツビジネスや環境に配慮した養鶏ビジネスモデルを視察した。社会主義国ならではの、若干のプロパガンダ的な雰囲気の中ではあるが、テレビカメラの前で植林活動も大々的に行った。

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上の写真は植林活動や養鶏ビジネス視察

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「今でこそ、テレビ取材は定番なので物怖じせずに答えられるけど、あの頃の僕は日本でテレビ取材などされたことがなかったので、若干おろおろしながら答えていたよ。」
と関は笑いながら振り返っていた。

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「先生が行く先々でテレビ取材に堂々と答えているのに私はすごいなぁと思っていましたよ。おろおろしていた頃の先生の姿を見てみたい。(笑)」

「あの年のプログラム中、スワンからパソコンの画面を見せられて絶句した。何とベトナム外務省のHPページ。そこの動画で僕がしゃべっていた。これ、ユイさんをはじめとしたビンフック省の政府の人たちが推薦してくれたおかげだけどね。」

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「ベトナム外務省!?」電話越しの関は淡々と語るが、一つ一つの話のスケールが大きすぎて、一学生に過ぎない大瀬の心はへとへとになり始めていた。

次回、〜〜〜。


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