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AAEEとは?③ーネパール地震を受けてー
こんにちは!学生副リーダーの大山です。
本稿は、連載
「自分を知るきっかけ、他者とともに生きる社会とは?」の第四回目となります。
今回は、AAEE(アジア教育交流研究機構)が、2015年に発生したネパール地震を受けてどのような活動を展開し、日本国内で継続的な活動をしていくことにつながっていったのかをご紹介します。
1.『ネパール地震発生』
2013年2月、ネパールでAAEE初の国際交流プログラム「ネパール-日本学生交流プログラム2013」が開催され、大成功を収めた2年後の2015年。
4月25日、ネパールの首都カトマンズの北西約77㎞を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。この地震は、周辺国を含め、死者が約9千人、被災者が約560万人と、ネパール国民の約5人に1人が被災する被害をもたらしました。(※)
関教授がネパールで地震が発生したというニュースを知ったのは、勤務校である東京経済大学でゼミナールを開講していた最中のことでした。その際、毎年実施しているネパールでの研修を本年はどうすべきかについて、学生と議論していたといいます。
関教授自身にとって、AAEEの始まりの地であり、学生時代や家族との経験を通じても特別な思い入れのあるネパール。そんなネパールで発生した地震を受け、多くの知人や友人をはじめ深いつながりを持つ関教授は、その場にいた学生とともに、まずは応援メッセージを届けることを決めました。
そこで、関教授が2011年から2012年にかけて教育調査のためにタイとネパールに居住していた際に築いた東南アジア・南アジアのネットワークを活用し、繋がっている人々へ連絡をとり以下のことを依頼しました。
「Pray For Nepal」というパネルを持ち、それをその日の内に撮影して送ること。
すると、依頼からわずか数時間のうちに、なんと300人もの人々が応じ、支援のメッセージが次々と集まったのです。日本を含むアジアの12の国と地域から寄せられたメッセージは1枚の写真に収められ、AAEEのFacebookを通じて全世界へ向けて発信されました。そのメッセージパネルはSNSで全世界初のネパール応援メッセージとなり、実に3万4千人のPVを得ました。
これが、AAEEで行った最初の支援活動となりました。
(実際のFacebookページ:https://www.facebook.com/story.php?story_fbid=828361410546916&id=356410997741962&_rdr)
これまでに築かれたネットワークが、AAEEのプログラム開催にとどまらず、危機的状況において人々を結び付け、支援の輪を広げる力となったのです。
また、同じくネパールに関連する知人からの強い依頼を受け、関教授はこのネットワークをさらに活用することを決意。チャリティイベントを開催し、ネパールの現状を日本国内の人々に伝えることを決めました。
2.『チャリティイベントの開催』
日本国内でのチャリティイベント開催にあたり、関教授は、これまでに外務省やJICAと築いてきたネットワークを活用することにしました。
実は、関教授が2013年に帰国して以降、AAEEは現在に至るまで外務省やJICAの後援を受け、国内でイベントを開催しています。
通常、外務省からイベント時に後援名義使用許可を得るには、申請から1ヶ月以上かかりますが、5月の連休直前、大急ぎでイベントの準備を終えた関教授が外務省に直談判した結果、なんとわずか半日で許可が下りました。
さらに、
「半日で後援名義使用を許可することは、外務省の歴史上ほぼ前例のない例外的な措置です。我が国がネパールを重視しているその思いをネパールの方々に届けてください。」という応援メールまでいただき、強い使命感を持ったと言います。
関教授のもと、これまで交流のなかったゼミ生とAAEEの学生たちが協力し、準備を進めてきました。さらに、東京経済大学やAAEEに所属する学生の大学に留まらず、さまざまな大学や高校、およびネパールと交流のある団体からの協力も得て、GWのまっただ中、学生主体で運営を実行しました。
5月5日、会場となったJICA地球ひろばには全国から多くの支援者や報道関係者が詰めかけ、大きな関心を集める場となりました。このイベントでは、ネパール支援活動の一環として、ネパールが抱える問題に関するドキュメンタリー上映やパネルディスカッションを実施しました。来場者に現地の実情を伝え、理解を深めてもらう機会を提供したのです。
多くの人々の支援を受け、大きな成果を上げたイベントは、国内のテレビニュースや新聞で取り上げられ、ネパール地震復興支援活動への関心が高まる契機となりました。
そして、これをきっかけに支援の輪が一気に広がり、活動の中心となるAAEEも日本国内で広く認知されるようになりました。
(イベントのポスター:https://aaee.jp/activities/2015/05/000047.html)
また、JICA地球ひろばでのイベントと並行して、アジア各国の学生に応援動画の撮影を呼びかけ発信したほか、東京経済大学や上智大学をはじめとする全国の大学やJR駅前での募金活動を実施するなど、AAEEは多方面で支援活動を展開しました。
特に募金活動では、200円以上募金してくださった方に「Mero Sathi(ネパール語で「私の友達」の意味)」と表記されたリストバンドを配布し、支援者同士の繋がりを深めるきっかけとなりました。こうした多様な取り組みの結果、最終的には多額の支援金を募ることができました。
3.ネパール地震復興支援活動『Mero Sathi Project』
チャリティイベントが大成功を収めた後、関教授と学生たちは募金の使い道について真剣に話し合いを重ねました。これを機に、イベントを通じて共に活動したAAEEと関ゼミの学生たちの協働はさらに本格化していきます。
ネパールやアジア各国の学生たちも加わり、議論はますます広がりを見せました。そして、支援金を寄付してくださった方々から寄せられた応援メッセージに基づき、関教授は学生たちに次の3つの条件を伝えます。
本当に困っている人々に支援を届けること
日本やアジア各国の学生と、被災地ネパールの学生が共に考えながら支援を行うこと
教育支援に力を入れること
この3条件を満たす募金の具体的な使い道を決定し、ネパールにいる知人から現地の状況を伝えてもらい、その声を基に地震で住居や仕事を失った家庭への支援活動が始まりました。この際、最も被害が深刻であったネパール北西の村が支援先として選ばれ、「ヤギ小屋プロジェクト」という名前のもと、活動が進められることとなりました。
ヤギ小屋プロジェクトは、ネパールで重宝されるヤギ肉や乳の利益を、オーナーと村の教育費に分けて使用することで、持続可能な教育支援を目指したプロジェクトです。教育資金が定期的に社会に流入する仕組みを作ることが目的でした。
さらに、村からの学校建設支援の要請を受け、関教授はネパールのNPOと交渉し、ヤギ小屋建設と合わせて竹製学校の建設支援を進めることにしました。
しかし、渡航直前になってプランは再度変更となり、学校とヤギ小屋を同時に作ることになりました。当初の予定では、ヤギ小屋を作る代わりに学校を建設するという約束でしたが、現場が一刻も早く学校を欲しがったため、急遽両方を建設することになったのです。
意向を汲みその最終プランを承諾し、現場へと向かいました。
ところが、地震発生から4ヶ月後、関教授と日本・ネパールのAAEE学生が現地を訪れると、そこには穴の開いた地面と散らばる材木、そして佇む村人たちの姿がありました。
さらに、完成しているはずの2つの建物のうち、AAEEとして特に重要視していたヤギ小屋は未着手のまま放置され、学校だけが完成している光景を前に、関教授一行は愕然としました。
長い時間をかけて計画し、ようやく現地へと足を運んだにも関わらず、そこで目にしたのは約束が守られていないという現実でした。
困惑と怒りが広がる中、村の幹部たちは完成した学校の開校式へ平然と招待し、その態度に、一行の困惑はさらに深まることとなりました。
一行はこの状況を受け、その場で支援の継続か打ち切りかについて早急に協議を行い、議論の末、支援を打ち切る決断を下しました。
支援を寄せてくれた方々の思いを無駄にしないためにも、十分に信頼できない相手への支援は行うべきではない―――そう判断した結果でした。
落胆して帰国した後、関教授と学生たちは再度検討を重ね、被害が大きかった村を選び直し、準備を進めました。
そして地震発生から約1年が経過した2016年2月、日本とネパールの学生が現地を訪れ、ヤギ小屋の完成とその利益を生む仕組みを確認しました。そして帰国後、AAEEは外務省やJICAの後援を得てネパール地震緊急支援募金の活用報告を行い、2017年の半ばにMero Sathi Projectは一度終了しました。
しかし、その後、AAEEは新たな目標を掲げ、2017年11月に行われたイベントで再スタートさせることとなりました。
Mero Sathi Projectでは、日本の学生有志による「Pray For Nepal」のメッセージ発信から始まり、ヤギ小屋プロジェクトなどを中心とした様々な地震復興支援活動を行ってきました。こうした活動を通じて、AAEEが構築したネパールとの友好関係を継続してほしいという要望が日本・ネパール両国で高まり、国際友好プロジェクトとして継続する決意をしたのです。
また、地震復興を目的に集まった学生たちの取り組みは、AAEEが日本国内で根を下ろし、継続的に運営されていく基盤を築くことにもつながりました。
Mero Sathi Projectは、現在では地震復興支援にとどまらず、ネパールで実施される国際交流プログラムの名称としても広く親しまれるようになっています。
4.『ベトナムでの国際交流プログラム、再び』
ネパール地震発生後、AAEEの日本を含むアジア各国での評価や認知度が高まる中、国際友好プロジェクトとしての意義も再認識され、その流れを受けて地震発生前に行っていたプログラムの再開へと踏み切りました。
その一環として、2016年には「ベトナム-日本学生交流プログラム(Vietnam-Japan Exchange Program 2016)」を開催。
これは、2013年および2014年にAAEEがベトナムで実施していた国際交流プログラムを再び形にするものでした。
さらに、2016年のプログラムでは日本からの学生も運営主体として参加し、企画・準備を進めました。
そもそもの始まりは、関教授が2011年から2012年にかけて築いた東南アジア・南アジアの現地ネットワークにあり、これを基盤としてAAEEによるベトナムでの国際交流プログラムが初めて開催されたのでした。
次回の記事では、2013年の活動まで遡り、どのようにして現在の
「ベトナム-日本学生交流プログラム(Vietnam-Japan Exchange Program 2016)」が形作られていったのかをご紹介します。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
※https://www.jrc.or.jp/international/results/190125_003736.htm
筑波大学
社会・国際学群 国際総合学類2年 大山 陽