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AAEEの国際交流プログラムがベトナムで定着するまでの道のり Vol.2

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ベトナム―日本学生交流プログラムをベトナムで開催するまでの道のりは険しかった。細かな部分まで一つ一つ行政府の許可を得なければならなかったからである。さらに直接交渉するのはすべて学生リーダー、スワンを筆頭とする大学生たちである。

「先生、日本ではどうかわかりませんが、ベトナムでは行政府職員や大学の先生方は学生を同じ目線では見てくれないのですよ。」

 権力格差の大きいベトナムで、彼らの苦労は相当なものであっただろう。しかし、関がその都度ベトナムに足を運ぶのは現実的な選択肢ではなかった。

 そこでスワンは同じ大学に通う二人の友人に声をかけ一緒に活動をすることにした。彼らの奮闘がなければ、AAEEが今でもベトナムで活動を続けていることはない。
(類は友をを呼ぶ。この三人は大学卒業後、揃って奨学金を得てそれぞれシンガポール、イギリスオックスフォード大学、フィンランドヘルシンキ大学大学院へと留学を果たした。)

 彼らがまず手をつけたのは、交流プログラムの受け入れ先を見つけること。ベトナムではその当時、私立よりも国立大学が圧倒的優位にあったが国立大学に受け入れてもらうためにはAAEEは無名すぎる。さらに手続きにも手間がかかる。そこでホーチミン市トップ私立大学をターゲットに絞り、スワンの「知り合いの知り合い」がその大学の国際課長をしていることから面談を試みた。

 「ベトナムでの面談は何度も立ち会ってきたけど、毎回準備が大変なんだよ。数名の面談でもしっかりとパワポプレゼンを準備して、とてもフォーマルな雰囲気で行われる。あの国には独特の雰囲気がある。」

 電話越しの関は大瀬にそう話した。

 三人の緊張をよそに、国際課長ドアン氏は笑顔でプレゼンに耳を傾けてくれた。そして終了後すぐにこう告げた。

 「プレゼンは素晴らしかった。だけど、それ以上に君たちの情熱がすごく伝わってきた。関先生とも既にやり取りをしているから、すぐに上司や関係機関に相談して話を進める。待っていてください。」

 そして約一ヵ月後、スワンと関の元にドアン氏から協力を約束する旨のメールが届いた。(ドアン氏はその後その大学を退職し、現在はホーチミンのトップ国立大学、ホーチミン経済大学の学科長に就任。AAEEはこの大学とパートナー協定を結んでいる。)

 プログラム開催前の10ヵ月間、関はスワンの言われるままに準備を進めた。スワンからは(つまりベトナム政府からは)以下のように多岐に亘る書類の提出を求められた。
「関のパスポート(失効したものをを含め)の全ページコピー。関の経歴詳細」
「AAEEの法的位置づけと活動内容を日本語・英語・ベトナム語で、さらに各言語翻訳者の身分証明書コピーとそのベトナム語翻訳、ならびにその翻訳者情報」
「国際交流プログラムの趣旨、関の動機、プログラム内容、ベトナムの受入れ先機関と責任者の情報」
「AAEEの国際交流プログラムが日本で違法でないことを示す証明書」

関はこう話す。
「『ホスト国の文化の枠組みの中で準備を進める』ことが新たな国で国際交流プログラムをうまく構築する秘訣だと知ったよ。ホスト国にはその国なりの事情があるからね。僕たちの価値観で物事を進めようとするのは失礼に当たるし、摩擦を引き起こす。相手の文化・価値観を尊重する姿勢こそが大切。」

 しかし、提出書類のあまりの多さに辟易した関はスワンにこう尋ねた。

「他の多くの団体がベトナムで活動をしているけど、これほどの書類を提出している例は聞いたことがないよ。」

しかし、

「その団体の活動は厳密には違法です。この国で合法プログラムを行いたければ、私の言う通りにしてください。

と一蹴された。

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時は過ぎ、2013年夏「第一回ベトナム―日本学生交流プログラム」の初日を迎えた。関は、10人の日本学生と共にホーチミンに到着した。

「先に触れておくと、このプログラムはスワンをはじめとするベトナム人学生オーガナイザーのおかげで、大成功に終わったよ。大成功を通り越してあまりに衝撃的な二週間だった。スワンがあれだけ膨大な資料を求めてきた意味がようやく理解できた。僕はこのプログラムを軽く見過ぎていた。もちろん良い意味でね。」

スワンを含む8名のベトナム人学生がホテルで待ち受けており、てっきり、プログラム参加者が出迎えてくれたのかと思った。しかし聞けば、彼らは「プログラム準備委員会」の学生だという。8名もの学生が半年以上も何の準備をすることがあるのか想像もつかなかった。

さらに、深夜のミーティングで衝撃的な事実を伝えられた。

「このプログラムへのベトナムの応募者は360名でした。そこから第5ラウンドまでの選考を行い10名に絞りました。彼らと日本の学生は明日午後の開会式で初対面します。その後の2週間のプラン、先生の各会場での挨拶文案はこちらにまとめてありますので、お時間のあるときに目を通しておいてください。」

数センチの厚さの資料。すべての書類にはベトナム共産党の許可印が押されていた。


翌朝から、「度肝を抜く」衝撃が彼らを襲う!

衝撃1) フォーマリティ
翌日、大学内で行われたオープニングセレモニー。小規模ながら学長・副学長・行政府要人が出席し、全員正装のいで立ち。超フォーマルな雰囲気に圧倒された。ネパールやインドでの経験が通用しないことをこの段階で悟った。

さらに、フィールドワークで訪れたラムドン。移動日は交通渋滞のせいで、到着が遅れた。ゲストハウスに着く頃にはオーガナイザーの顔色は青ざめ、「10分以内にスーツに着替えて集合してください!時間がありません。」とまくし立てた。
オープニングセレモニー会場の入口に到着すると関を先頭に二列に並ばせられた。

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合図と共に行進し、会場内に入る。そこには、同じ制服を身にまとった300人は下らない現地幹部全員が起立し盛大な拍手で我々を迎えていた。完全なる「異文化」にただただ圧倒されるしかなかった。

衝撃2)社会主義国のリアル
ラムドン出発の前夜、スワンたちはこう警告した。
「政治の話は絶対にしないでください。」「ベトナムの批判や現地でお世話になる方の悪口を絶対に言わないでください。」

日本メンバーの一人が少し不満そうに質問した。

「私は社会主義の政治体制に興味を持ってこのプログラムに参加したのですが、ホストファミリーなどに質問をしてはいけないのですか?」

「社会主義については日本でしっかり学んできてくださいと関先生に何度もお伝えしたはずです。」

スワンはすかさず鋭い視線で切り返し、関に厳しい眼差しを向けた。

当時を思い出しながら関はこう言う。
「いやあ、あの時のスワンの視線は怖かった。あれは僕が悪い。日本の学生に伝えるのを忘れていた。というよりも僕の中でも、ここまで社会主義の中枢にまで入り込むことを想定していなかった。」

そんな二つ衝撃を経験しながらも、参加学生たちの交流は実に素晴らしいものであった。スワンをはじめとするオーガナイザー8人は決して大げさな人数ではなく、彼らに従っていれば自然と学び合い仲良くなるように、巧妙にプログラムが構成されていた。彼らは2週間寝食を共にし、国際的な友情を得ることに成功した。

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2週間のプログラムの終盤、関と仲良くなったベトナム共産党幹部の方はこう言った。
「私たちの国は、他国から侵される経験を何度も経た結果としてこのような体制になってる。だから外国人に対しては慎重になる。実際、この国に入り込んできて我々の意に反することを企む勢力があるのが現実だ。しかし、この国の人々の心が世界に閉鎖的なわけではない。世の中をよくするための活動には寛容だし、だからこそ私たちはあなた方を受け入れた。そして大成功させた。このメッセージをぜひ日本の人々に伝えてほしい。」

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最終日、タンソンニャット国際空港での別れのシーンは感動的ものであった。いつまでたってもその場を動こうとしない学生たち。彼らの「心を繋げる」交流プログラムを目指してはいたものの、まさかここまでとは。すると、片隅で両国の学生たちの美しい別れのシーンを満喫している関の下に、スワンと二人の副リーダー近づいてきて言った。

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「来年が勝負ですよ!今から準備を始めましょう。」

次回、驚異のスーパー大学生たちがさらに本領を発揮する!

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