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AAEE版グローバル人材(2)異文化適応力

「異文化適応力」に関して、忘れられない経験がある。
2011年にタイに住んでいた。当時は円高で、多くの企業が製造ラインをタイに移していて、企業駐在員やその家族がたくさんいた。また、観光立国のタイには世界中から観光客が訪れた。さらに、日本語学習ブームで、日本人の日本語教師も少なくなかった。ちなみに僕は、バンコクのチュラロンコン大学で期限付き客員教授をしていた。

教師にとって人間観察力は必須で、僕もその例外ではなくヒトを観察することが習慣化してしまっている。普段の観察対象は学生なのだけど、あの時はタイに暮らす「外国人」観察が印象に残っている(日本人だけでなく世界中の人々)。何よりも痛感したのは、異文化適応に苦労している人がやたらと多かったこと。タイ人、タイ社会についての愚痴が絶えなかった。

多くの場合、僕は聞き役に徹していたけど意見を求められたときには必ずと言っていいほど、「Uカーブ」の話をした。

大瀬「Uカーブ?何ですかそれは?」

1950年代にリスガード(S. Lysgaared)という研究者が提唱した文化適応モデル。簡単に説明すると、異文化環境下における人間の心理状態の変化を表した曲線のことだよ。リスガードは、カルチャーショックを乗り越えて異文化に適応していく過程を「ハネムーン期」、「ショック期」、「適応期」の3つに分類したんだ。人間が、心の「ウチ」から「ソト」に出ていくときの様子を単純明快に表している。

大瀬「何だか興味深い理論ですね。この3つはそれぞれどういう時期にあたるのですか?」

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第1段階「ハネムーン期」
 新しい環境に飛び込んだ時、何もかも新鮮で全てが楽しく感じる時期のことだ。海外旅行に行くと、楽しいことばかりだよね?つまり、旅行ではハネムーン期しか経験していないことになるんだ。

第2段階「ショック期」
この段階はいわゆるカルチャーショックを受けるタイミングだ。新鮮さが薄れてくると、新しい文化の価値観や習慣が自文化とかけ離れていることを感じ、幻滅したり、心理的なショックを受けてしまう時期だ。酷い場合には心身の不調も伴う。

第3段階「適応期」
カルチャーショックを克服して徐々にその文化に慣れていくんだ(受容)。そしてその文化が自文化の一部になってしまうこともある。

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大瀬「なるほど。このように説明されると、文化適応の段階に関してとても納得させられる部分が多いですね!今まで知らなかったのがもったいないくらいです。でも、先生はなぜこの理論を知っていたのですか?」

たぶん学生時代に読んで知った。難しい本ではなかったと思うよ。しかし、その後高校教師や大学教師をする中で、「国際化」,「グローバル化」を声高に叫びながらこの超基本かつ重要な知識を生徒・学生が学ぶ機会がほとんどないことに驚いた。それ以前に学校の先生方も知らない。正直、唖然とした。
タイでカルチャーショック受けている人たちにこの理論にも触れながら感想を言うと、皆納得して口々に「今まで知らなかったのが残念だ」と言っていたよ。

そして、彼らの姿を見ている内に危機感を覚えるようになった。もはや見過ごせなかった。それで、Uカーブ理論を国際交流プログラムに取り入れる方法を模索し始めたんだ。このモデルは数年間かけての異文化適応を想定した理論だけど、短期間の交流プログラムの中に何とかはめ込めないか、随分と検討した。行動に移すまでに1年半かかったことが、事の難しさを物語っている。

大瀬「一年半ですか!何をそんなに考える必要があったのですか。」

異文化適応は、人の心に影響を与える作業。心は目に見えないよね。見えない部分に刺激を与えるプログラムを作り上げるためには、多種多様な知見を組み合わせて、参加する人々の文化や価値観をも想像しなければならない。教育ではなく研究のレベルで日々考え続けていたよ。その結果出来上がったのは、スタディ・ツアーというよりも、「異文化力猛特訓ツアー」と言うべき、過激なもの。

大瀬「『異文化力猛特訓ツアー』。なんか怖い響きですね。なんでまた、そんなものに行きついたのですか。」

自文化って長年かけて心に根付いたものでしょ。心の「ウチ」から「ソト」に出て、自己変容をするのは快適なことばかりではないんだ。違和感の中での活動は楽なことばかりではない。でも、異文化への違和感を覚えてこその「文化適応」だからね。朝楓も参加した人ならわかるでしょ。さらに言えば、短期間といっても少なくとも12日間から2週間は必要という結論に至った。僕の理屈では1週間では絶対に無理!

大瀬「なるほど。AAEEの国際交流プログラムが他のプログラムよりも長めに設定されているのはそこに理由があったのですね。」

もっと言えば、プログラムの中には参加者の心にストレスを与える要素も意図的に組み込んでいる。参加者は自分との闘いを迫られる。こちらとしては、学生は貴重な大学生活の長期休暇を費やして参加してくれているのだから、確実に成長してほしいという一心。


大瀬「そんな激しいプログラムに参加しようと思う学生を集めるのは大変ではないですか。」

(大笑い)朝楓も知っている通り、参加してくる学生は向上心の高い、良い意味で「変わり者」の学生ばかりだよ。だから参加者の多くは、プログラムで刺激を受けた後、さらに研鑽を積んで社会で大活躍していくんだ。AAEEは世界中にすごい「卒業生ネットワーク」を築きつつある。

大瀬「先生の話を聞きながら、私の周りの学生を眺め廻してみると、皆ハネムーン期だけで終わっている気がしてきました。」

特に、朝楓が僕のアシスタントとして参加したベトナムプログラムは僕の考えを厳密に当てはめて作った。
ベトナムプログラムは学生中心となって考えたプログラムと言えども、1日目から最終日まで休む暇も与えないほど内容の多いプログラムになっているよね。あれは意図的にそうしているんだ。

初めは、ワクワク感を持ってベトナムという地に辿り着き、見る物、食べる物、経験する物全てが真新しく興奮状態になる。
でも、到着した翌日午後からプログラム最後まで圧倒される。朝から晩まで容赦なくプログラムが続く上に、内容も日本学生が経験したことのないようなものばかり(ベトナム学生と半年以上かけて練り上げる)。
日本の学生は次第にその忙しさに疲労感を抱き、プログラム3日目くらいには精神的に辛い状態に陥る。そして愚痴も出始める。彼らが文句を言い始めるのはすべての想定内(笑)。

大瀬「確かに、ベトナムプログラムは参加学生に休む暇を与えないですよね。その上、時間通りには進まず、時々オーガナイザーも一緒になって楽しんでいて…。日本の参加学生が時間通りに進まないことに対して少しイライラしていたのを覚えています。笑
最初は『楽しい!』となっていたけど、4泊5日のフィールドトリップ(主にビンフック省)に行く前くらいになると、だんだん疲労感が溜まってきて、休む時間がない上に夜もベトナム人が小学生のように盛り上がっているのに対して若干不満を漏らしていました。
それでも、1週間くらい経ってくると、まだ1週間しか経ってないと言いながらも、もう1週間しかないんだと、だんだんその忙しさやベトナム人学生の空気感にも馴染んでいくのが見受けられました。
私が驚いたのは、ビンフック省からホーチミンに戻ってきた日。出会ったばかりの頃とは全く雰囲気が違うんです。皆んなで夕飯を食べながら、大盛りあがりしていたのはとても印象深いです。食後に日本人学生がドリアンフルーツチャレンジして、『臭い!』と言いながらも食べて笑いあったり、そうかと思えばベトナム人がワサビに挑戦してたり・・・。一週間やそこらでここまで変わるものなのかと言葉を失ったほどです。」


その頃になると、「まあ、これもありか。」と相手のことを受け入れ始めてくるんだよね。時間感覚にしても食文化にしても。
人間関係にすら緊張感がある初めの頃にドリアンフルーツやわさびを食べ比べをしたら、互いに拒否反応だけで終わってしまうだろうね、笑
「ただでさえ疲れているのに、あんな臭いものをなぜ食べなければならないのか!」と。


大瀬「2週間のプログラムの中でUカーブモデルを擬似体験できていることは納得できました。今の思い出話でも感じられるようにAAEEのプログラム参加者はプログラム参加後に皆んな『参加してよかった』と満足してもらっています。
普通こんなに大変なプログラムであれば、カルチャーショックのままで終わってしまう人がいてもおかしくないですよね?何かAAEEのプログラムには異文化適応するために別の秘策があるのですか?」

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この言葉を聞いた関は、笑顔でさらに話を進めていく。

1年半プログラムの検討をしていく中で、僕が考え付いたのが、「バディ」モデル。小学校の水泳の授業などで経験があるのでないかな。元々集団水泳で溺れるのを防ぐテクニックだ。AAEEのプログラム参加者の文化適応のためにこれが使えると思った。
つまり、日本人参加学生には常に一人一人に対してサポートしてくれる現地参加学生がついてくれているということだ。カルチャーショックを受けた時に一人だったら慰めてくれる人はいないよね。また日本人同士だったら余計に落ち込んでしまうかもしれない。
しかし、その人と相性の良い現地の仲間がいたら、落ち込んだ時には慰めてくれる存在になるよね。
日本人学生にはバディモデルのことを事前に詳しく説明しないけど、実は現地の参加学生は事前にバディーモデルに関する論文を読んでトレーニングを受けるんだ。だから、日本人学生が気づかないところで現地の学生はちゃんとフォローしてくれているんだよ。(ベトナムの学生は日本学生との交流に加えてこの事前訓練も経験することで確実に学びを得ることができる。)
もちろん学生だから100%うまくいかないこともある。けれど、落ち込んでる時に手を差し伸べてくれる友達がいたらありがたいよね。こうして文化適応のサポートと友情構築ができていく。

さらに、バディーモデルを採用したことでセキュリティの問題を解決するという「副次的」効果も得られた。常に現地の学生が横について日本人学生をサポートしてくれているおかげで、AAEEのプログラムは過去に安全上のトラブルは一度もない。

大瀬「参加者目線ではあまり意識できていなかったですが、ベトナムプログラムを観察していた時に、確かにベトナム人学生のフォローアップの手厚さには感心することが多くありました。安全面に関しても、彼らがいたことで交通機関や買い物において金銭的なトラブルに巻き込まれることもなかったですよね。例えば…お土産。日本の学生がベトナムのマーケットでお買い物する時、普通なら観光客としてぼったくられてもおかしくないところ、ベトナム人学生がきちんと交渉してくれたり、値段に妥当性がないと『別の場所で購入した方がいいよ』と教えてくれたりしました。物を置き忘れてもほとんど戻ってくる。彼らがいたことで、助けられたことは本当にたくさんありますね。」

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両国の学生ともに心の「ウチ」から「ソト」でて交流する2週間は、生まれて初めてと言って良いくらいの不思議な感覚を各自にもたらすんだ。分かりやすく言えば「これまでに味わったことのない深い絆」。
だからこそ、お別れのパーティーは毎回みんなが号泣する。

僕が自信を持って言えることは、どの学生にとっても生涯忘れ得ぬ経験となること。


大瀬「確かに、参加した多くの学生がプログラム参加後に、自分一人でベトナムやネパールを訪れて現地のメンバーと再会を果たしますよね!友情の力ってすごいですね。」

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