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コペンハーゲンの日本食屋さんで女ひとり、ほとんど泣いていた夜
普段の海外旅行中は日本食を食べない。それもそのはず、会社員の週末や連休に力づくでねじ込む予定ばかりなので、日本食が恋しくなるほどの期間にはならないのだ。そんな私が、コペンハーゲンで日本食レストランに入った。乾いたパンばかりをそれ以上食べられなくなっていた私は、現地でワーホリをする知人の紹介に食いつき、ここぞとばかりに行ってみることにしたのだった。
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そもそもデンマークに来る前は、ノルウェーのオスロで2日間過ごした。到着してすぐ、駅ビルのファストフードのようなカフェで、口の中の水分を奪う味の薄いパンが800円で眩暈がした。日本だったら学食の端の自販機で売ってるパンは200円くらいで、しかもこのパンよりそちらの方が美味しいじゃないか。ちょっといいパンを買うと1,500円もする。北欧の物価高と円安の意味を、ほんとうの意味で体に叩き込んでいた。
だからその店内に足を踏み入れたとき、日本のディープな居酒屋さんに迷い込んだかのような錯覚を覚えた。「麒麟一番搾り」の看板がかかっていて、店内にはミセスが流れている。ダルマやトトロやアンパンマン、提灯と和太鼓。ごった返す店内に、日本語と英語と知らない言語が飛び交っている。日本でも3軒目で路地裏に迷い込まないと出会えなさそうな感じ。でも来たことはないはずなのに、日本語で日本食を注文できることに、心がほぐされているのを感じた。
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牛丼、さしみにうどんといった魅力的なメニューが並ぶ中、私が選んだのはとりのてりやきと、ラムネ。
ラムネを運んでくれたワーホリのお姉さんは、見事な手つきでビー玉を落としてくれた。キンキンに冷えたラムネを喉に通したとき、衝撃を受けた。冷えた馴染みの甘さがそのまま脳まで落ちていき、冗談じゃなく天を仰いだ。北欧に来てからカフェでは「ラテを」なんて言っていたけど、本当に飲みたかったのはラムネだったんじゃないか!!お腹を壊すし眠れなくなるほどカフェインに弱いのに、カッコつけてただけじゃんか!!
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バイトの子の紹介の日本人ということで店員さんが気にかけてくれて、「ラムネはグラスいらないの?」と聞いてくれたけど、「ああこのまま瓶で…」といったら「あ、直接…日本人ねえ…」と感慨深そうに去っていった。そっか、みんなグラスに移して飲むのね。
私がもう少し瞬発力のある人間だったら、店員さんの両肩をつかむ勢いでラムネへの感謝をだだ漏らしていたかもしれない。本当にあぶなかった。間違いなく、私が人生で飲んだラムネの中で一番美味しかった。ラムネなど数年飲んでいなかった私が、減りゆくそれを嘆いて2本目を頼もうか迷ったほどだ。お祭りで浴衣の裾を気にかけながら鳴らしたビー玉の音が、10年の時間を追いかけて脳に響いてくる。
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ラムネを飲んだだけで放心状態になっていた私の前に、てりやきが運ばれてくる。2食、いや、旅行中の私の1日分くらいの量の定食が運ばれてきた。「ごはんはおかわりできますよ」という衝撃的な言葉とともに。衣つきの唐揚げのような鶏肉に、甘辛いソースがたっぷりとかかっている。そしてサラダ、味噌汁、ご飯と漬け物。サラダをひとくち食べたときの感動を私は言葉にできるだろうか。
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うま、とつい言葉に出していた。チキンも、柔らかくジューシーで、その熱さに幸せなはふはふをしながら食べ進める。甘辛ソースの絡んだお肉に、さくっとジュワッの間の衣。温かい料理というだけで沁み渡るのに、めちゃくちゃ美味しい。日本人のお店といっても、海外で食べられる日本食の期待を軽く超えてきている。
そして、身体がじわじわと温まっているのも感じていた。指先にも力がこもってくる。ああ、ご飯をちゃんと食べると、人間の身体って熱くなるんだ。そんな、日本では当たり前に享受していたことに感謝をした。心がいっぱいで、店内に流れるバックナンバーの「花束」。鼻にかかった「ごめんごめんありがとうごめんくらいの〜」を聞いて、そのまま泣いてしまいそうだった。隣の外国人カップルを困らせてしまうところだった。まじであぶなすぎる。
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スタッフの方とお話しする。北欧まで旅行でちょろっと来てここを訪れる人というのも多くないらしい。大学、ワーホリ、仕事でヨーロッパにいる人たちが多いらしいのだ。いただいた小ビールをひとくち含むと、懐かしい日本の生ビールの味がした。これががつんと私を刺激して、それからじわじわと効いてきた。ひとり旅のときに、あ、この瞬間にパートナーがいたらいいなと思うことはあるけど、この日本食とビールは次元が違った。日本に置いてきた彼と週末に飲むビールの記憶が追いかけてくるようで、旅行が続くことは嬉しいのに、猛烈に帰りたくもなる。刹那の葛藤をバックナンバーが盛り上げ、またも北欧にいることを夢のように思う。
ピクルスと呼ばれていたお漬物がとても好みで、ちびちびつまみながらビールをすすめていた。なにしろ個人的には3食分を食べているくらいの気持ちなので、とても満腹だったのだ。久しぶりにこんなに満足する食事をした。ゆっくりゆっくり味わい、完食。さすがに追加でデザートまではいただけなかったけど、五感がフル稼働した。次にラムネを飲むときに、私はまたふらふらとコペンハーゲンの記憶に舞い戻ってしまうのだろう。
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