働くeyday
毎日毎日労働
身を削って、自由を手放して
いったい何のために?
生活の為?将来の為?
ただ漠然とした不安の為じゃなくて、
目の前の誰かの為にがむしゃらに生きたい。
でもなんだかんだ、現実主義だから、奨学金返済とか生活水準とか考えて、いつまで経っても労働からは解放されないし、むしろ自ら資本主義の歯車になりに行ってるような。
今自分の手のうちにある限りある自由と喜びはお金があるから保障されているものであって、仕事辞めて一文無しになったら、結局全てなくなるから。
その覚悟がある奴しかその道に進まない。
そんで私にはそんな覚悟ない。
だって、これが自分だけの人生って思えないから。ママとじいちゃんばあちゃんがここまで紡いできてくれたものだから。
片親で、大学なんて行けないって思ってたのに、大学も留学も行かせてくれたママのことを考えると、やっぱり親孝行させてあげたいって思うし、
この社会において、親孝行するには、苦労かけないくらいお金稼がなければという思考にしかならないし。
毎日うまいもん食って、あったかい風呂入って、ぐーすかおうちで寝て、税金の心配も、親や自分の老後の心配もなく、そんでもって毎晩好きな人達とパーティやる。
それが理想。だけど現実はそう甘くない。
悲しみのパラメーターは、
あの日あの時にもう振り切っちゃって壊れちゃったから、もう何も悲しくないの。
ただあなたには笑っていてほしい。
不幸にしたくない。
だからわたしは、あーだこーだ言いながらも、
資本主義の歯車から外れることはできないのだろう。きっと。
誰か幸せの水準ぶっ壊してくんねーかなー