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幸せオーラ

私はよく嫉妬される。なんでか?明確には分からないけど、たぶん基本的には「幸せオーラ」が出てるからだろう。

でもたぶん、記事読んでくれてる方は分かるだろうけれど、私の心の中はネガティブだ。でもなぜ「幸せオーラ」が出ているか。

私が思うに理由は2つある。

1つ目は、たぶん私がもともと持っているもの。いわゆる才能のようなものだと思う。HSPだし、感動系のシーンなんか、その映画見てないのに、感動シーン出されて説明のナレーションなんかが入っていると5分しないうちに泣き出す。すぐ感動する。つまり「幸せキャッチ能力」高めだから、というのもあるんじゃないかと思う。

2つ目は私が意図的に幸せオーラを出そうとしている節がある、ということだ。正確にいうと「あった」かもしれない。

なぜ意図的にそんなことをしていたのか?

ちなみに始めたのは小学生のころからだ。兄がダウン症で、24時間TVとかを見ていて、どこかダウン症や障害を持っている人たちを「かわいそう」という前提を感じていた。私にとっては、その前提は不思議だったのだ。それに、その前提にむかついてもいた。

だって兄は私より甘える能力に長けているし、私より母に愛されているし、「どこがかわいそうなのか?」「兄がかわいそうなら、兄より愛されていない私はいったいどこまでかわいそうな人間になってしまうのか?」あくまで私の主観である。だんだん暗くなっていきそうなので、ちょっとSTOP。

この、世の中の「障害を持っている人はかわいそう」という前提を崩したかった。いや、それは今でも。

だから、「私は兄の兄妹として生まれて幸せですよオーラ」を出そうと、小学生の時に思ったのを覚えている。「幸せオーラを出そう」というよりも「不幸です」という感じを出してしまうと、兄が悪者になる気がしたのだ。

うーん、今思うと「ただの強がり」かも??

父は、特別幸せそうにはしていなかった。ずーっと「稼ぎもないし、しょうもないお父さん」だと思っていたけれど、たぶん、兄のことを「そのまま」受け入れることが一番上手だったのは、お父さんだった。

「世間がなに?」「世間がなんといおうと、君は君」という受け止め方を、兄に対して、していた。だからこそ、兄はどちらも好きだと思うけど「(ママより)パパっ子」なのだ。まあ、もう父は亡くなっているのだけど。その受け止め方をしていたからこそ、父は世間に対して「むかつく」とか、そういった類の感情を抱いていなかった。1ミリも。母は、父よりは、そういう類の感情をもっていたと思う。そして家族のだれよりも、私はそういう感情を世間に対して抱いていた。たぶん、もはや呪いレベルに(笑)

こう書いていると、たぶん私は兄のことが本当に大好きなのだなと思う。普段は思わないけど。むしろ嫉妬の対象だけど。

小学生のころから、隣町のスーパーとかに行って、隣町の小学生が兄のことを指さしてバカにしたら、それを全部母に報告して「むかつく!」と言っていた。そのうち、「子どもは分からないから仕方ないかもしれないけど、大人がそういう目線をむけるのは本当にむかつく!許せない!」と言い出した。いま思うと「許せないなら許さなくて良い」。

まあ、母は「世間なんてそんなもんよ~」って感じでいちいち私を相手にはしなかったのだけど。

長くなったけれど、これが私が「意図的に幸せオーラ」を出していた理由だ。

でも、これには弊害もある。

そう、冒頭に書いた「嫉妬されやすい」のだ。

しかも実は私は心から幸せなわけではない(ものすごく不幸なわけでもないけれど)上に嫉妬されると、私にとっては「辛いこと」が増えるだけである。

幸せオーラが出ている+見た目がそこそこ良い+お勉強できる、となると嫉妬の対象になりやすいらしい。大学の時は、「お勉強ができる」というのが周りの方が努力家で頭も良かったから起きなかった。楽だった。でも、高校の時はどちらかというと勉強できて、そして多分モテ期で、モテたのだ。

HSPさん分かるかもしれないけど、モテるのって疲れる。嫉妬されるから、というのもあるけれど、シンプルに「どうやったら相手をなるべく傷つけずに断るか」とかを考えるのって疲れるのである。

でも、「不幸オーラ」出してるよりは良い気がする。だって、不幸オーラ出してると「この人とは関わらない方が良い」と思われてしまうかもしれないからね。。。。

たぶんこれ、読んでて「こんな複雑な人間いるのか」と思われそう。

まあ、思われたら思われたで(笑)

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