「過度なジェンダー平等」とは何だったのか
自民党参議院議員の山田太郎議員(以下、山田議員)が、IPU(列国議会同盟)本会議にて「表現の自由と日本の文化を守る重要性を訴え、それらを犠牲にしないバランスの取れたジェンダー議論を進めていくべき」と演説した。
これは以前に漫画家で、自民党から参議院議員として当選した赤松健氏(以下、赤松先生)も「過度なジェンダー平等による表現の自由への圧力には全力で闘います!」といって波紋を広げた話にも通じるところである。
思った通りというか、自民党に批判的な層を中心に反発が広がっているようだ。
これは無理もない話で、いわゆる「ジェンダー平等」政策を押し出しているのは左派系野党であり、加えて自民党といえば一般に「保守」であると見られているし、過去に性教育をあざ笑うことをしてきたというような「やらかし」があるからだ。
例えば立憲の五十嵐えり都議(武蔵野市選出)は以下のようにツイートしている。私もひどい話だと思う。
このような批判は何も左派系野党に限った話ではない。先日代表辞任した都民ファーストの会、荒木ちはる元都議も下記のような怒りを滲ませる。
実は都民ファーストは2017年選挙で第一党となった際に、それ今だと東京都の「性教育の手引」改訂に着手した。改訂は実に15年ぶりで、避妊や人口妊娠中絶の指導例などが盛り込まれたという。
これは自民が第一党のままではそうそう起きない変化だっただろう。筆者はこの取り組みを大いに評価するものである。
が、これらを踏まえた上で、筆者は自民党候補の言うところの「過度なジェンダー平等」発言に共感したのだ、ということも同時に述べておきたい。
それはなぜか。
IPU演説を機会に語っておきたいと思う。
まずちょっと筆者の話をさせていただくと、これを書いている私の性別は「女性」である。
だから戦後にようやく認められた女性の参政権なり(まだ100年も経っていない!)、あるいは30年前に施行された男女雇用機会均等法その他、いわゆるジェンダー平等的な施策の恩恵を受けてきた自覚がある。
そうだからしてジェンダー平等の概念そのものには反対していないというか、むしろ賛同してしかるべきな立場である。
性教育も進めてほしい、今問題になっている生理の貧困にも対応した施策を打ってほしいと考えている。
が、その一方で、自民党所属である山田議員や赤松先生が言うところの「バランスの取れたジェンダー議論」「過度なジェンダー平等」に対して、「すごくわかる」という想いを抱いてもいるのだ。
なぜならこの「過度なジェンダー平等」の指すところのジェンダー平等とは、「ジェンダー平等政策と銘打った、性描写など、マンガ等の創作物描写を規制しようとする動き」であると考えているからだ。
そして、残念ながら、これは現在進行形の話でもある。
例えば、2016年の国連勧告。
女子差別撤廃委員会は日本に対し「性的暴力を描写したビデオや漫画の販売の禁止」という勧告を出している。
もしもまともに勧告に従って法整備をし、施行したと仮定すると、相当数の漫画が違法な存在になる。
ダークファンタジーの「ベルセルク」は当然アウト、中世の宗教戦争を描いた「乙女戦争」は第一話からもうダメ、手塚治虫の作品もひっかかるし(奇子とか、アドルフに告ぐとか)、コミケのえっちな同人誌や腐女子の愛するBLも壊滅するだろう。
こういうのを「女子差別撤廃」とか「ジェンダー平等」とかの名の下で推進しようという動きがあるのだ。
これに対しては女性団体も反対の立場から意見書を出していて、賛同人には漫画家や研究者、BL作家なんかが名を連ねている。
意見書の一部を抜粋すると
”架空の性的暴力を取り締まれば何かを成し遂げた気がするかもしれません。しかし、架空の人権侵害に対処する間にも、実際には実在する女性への人権侵害が放置されるままとなります。”
とある。
その通りであると思う。
大学時代、仲が良かった女友達から借りて楽しんだベルセルクが違法になる、そんな「ジェンダー平等」や「差別撤廃」ならば、少なくともその点を間違っていると言わねばならない。
また、大阪府男女共同参画センターが新たに作ったガイドライン(現在は修正)では、広報物にいわゆる萌えキャラはNGといった規定があった。
「萌えキャラ」なんていうものは今日、日本の男女が見て、描いて楽しんでいるものだが(そもそも萌え絵の起源自体、少女漫画の描き方やタッチを少年漫画や男性漫画向けに導入したものである)、このガイドラインは明らかに女性を性的に描き消費するよ悪しきものというニュアンスで「萌え絵」を捉えていた。
残念ながらこういうことが「男女共同参画」という名の下で起こったのである。
そして一番有名なのは、なんといっても戸定梨香(とじょうりんか)動画削除事件だろう。
松戸市のご当地Vtuberである戸定梨香は地元警察の交通安全啓発動画に出演していた。ところが、千葉県警は「使用しているキャラクターが、適切じゃないのではとのご意見をいただいた」として2021年9月10日までに動画を削除、その背景には、全国フェミニスト議員連盟という議連からの公開質問状の存在があった。
質問状の主張は「女児を性的な対象として描いている」「性犯罪誘発の懸念すら感じさせる」などであり、同キャラをいわゆるジェンダー的な観点から非難するものであった。
尚、同議連は活動目標として「あらゆる女性差別をなくすために、女性差別撤廃条約選択議定書批准のための取り組みを各地で進める。」などを掲げていることを記しておきたい。
この件は大変に非難されて、抗議の署名が7万通以上集まった。
多くの人々が赤松先生の言うところの「過度なジェンダー平等」を感じた結果ではないだろうか。
他にも大小上げるとキリがないのだが、昨今のSNS上では定期的にこのような事件が可視化されてきた。
そんな光景を繰り返し見るうち、私はだんだんと「ジェンダー平等」という言葉が嫌になってきたわけである。
私は女性であると同時に、エッチなものも含めてマンガやアニメも見る消費者であり、ついでに言えば同人作家でもある。
だから、そんな「ジェンダー平等」とやらで、自身の描いた物語や、好きなキャラクターが貶められたり、ましてや違法なものとして取り締まられたりしたらたまったものではない。
これは私の幸せにかかわる問題だ。
私は私の幸せのため、時に「ジェンダー平等」を批判しなければならなくなった。「ジェンダー平等」という名のつくものの中味を疑わなければならなくなったのだ。
男女共同参画局(https://www.gender.go.jp)によれば、「ジェンダー平等」とは、ひとりひとりの人間が、性別にかかわらず、平等に責任や権利や機会を分かちあい、あらゆる物事を一緒に決めることができることを意味しています。」とある。
ところがその実態は、こと創作表現分野ではすっかり歪んだものとなってしまっている。
これが、「過度なジェンダー平等」という主張への共感に繋がったわけである。
赤松先生は漫画家である。加えて表現規制問題に十年以上取り組んできたロビイストであることを私は知っている。
赤松先生は「過度なジェンダー平等」と主張することで、性教育の推進などを阻害したかったのだろうか? 私は否であると思う。
赤松先生は単に、私が抱いた違和感を同じように持っているだけだと思うのだ。
尤も赤松先生の言葉選びは非常につたなかったと思うし、「自民党」の「男性議員(候補)」が「過度なジェンダー平等」などと言えば、様々な「文脈」が乗っかるのは致し方ないと理解している。それは自民党のやらかしを思えば当然の反応だ。
更にその意図するところは、今私が書いたような背景を共有していなければ到底理解できないものでもあった。
発言はえてして意図通りには伝わらないものだが、先生はプロである。もっと言葉を工夫していってほしいとは思う。
さて、今これを読んでいる人がどういう立場の方かはわからないが、ちょっとお願いがある。
無理に自民党を支持してくれとは言わないし、山田議員とか赤松先生に入れてくれとも言わない。
が、もし、あなたの身近な人が「ジェンダー平等」的なものに反発するようなことを言っているなら、なぜその人はそう言うのか、少しだけ聞いてあげてほしいと思うのだ。
もしかするとその人は本当に差別主義者なのかもしれないが、そう主張する人の多くは、総論賛成・各論反対のような意見を持っているだけではないかと思うがどうだろうか。
ひとえに「ジェンダー平等」といっても様々なテーマがある。違いではなく一致できる部分を探してほしいのだ。
彼らの言い分にちょっとだけ耳を傾けてくれたらうれしいと思う。