二人目が1歳になって舞台に立つということ
忘却、忘却、忘却、忘却、忘却、忘却、忘却…
こんな毎日
前回の稽古で久しぶりに「ああ、これが稽古だなあ」と強く思った
演劇のある毎日の感覚を思い出した感じ
保育園のお迎えを夫に手伝ってもらって、私は稽古だけに集中できて
家族の助けがあって稽古ができてる毎日
台詞は覚えてきてるけど何かを忘れる。
演劇に集中してるから。
フラスコの稽古は寄り道しても休憩してもそれが全部「稽古」で全部つながってる感じ
と思えるようになったのも年齢を重ねたからなのか
30代として中間の人間として参加していて、なんとなく考え方も中間だなと思う時がある
一歩引いている、みたいな
そんな時、ちょっと複雑な気持ちにもなってる
ああ、忘却
寄り道しながら書いている。
本当はもっと子育てしながらでも演劇ができているのはフラスコのおかげということを書きたかっただけなんです。
だけど書いていたらなんか怪しくなってきて、ネガティブにしかならんかったし、漸く暗い穴から抜け出したように稽古をするという感覚に気持ちが追い付いてきたというか演劇をする感覚を取り戻してきたというか。
コロナと同時に「舞台に立つ」ということから離れていた私にとっては、この前のワークインプログレスが荒療治ぐらいの感覚で。
「人前に立つ怖さ」「自分の身体を持って作品を届ける」ということが、本番終わった夜から発熱して動けなくなるくらい効いていて。回復するのにも時間がかかり、忘れていた感覚を取り戻す作業の大変さを感じていたのです。
一人目の時はコロナもないから、妊娠中ギリギリまで舞台に立ち、何なら出産後4か月で子供と一緒に稽古場公演をして、演劇とつながり続けることができたおかげで、その後何回か子供と舞台に立つことがあっても、大きな不安を感じることなく過ごしていました。
それが今、二人目を産んで同じような状況なのに、忘却やら生活をするのも大変で、「演劇なんてしていていいんだろうか」「本番が怖い」「台詞が入るんだろうか」と不安だらけ、体調も崩しがち。
演劇を続けるってどうしてこんなに大変なんだろうと、くよくよ悩みながら稽古場に向かっていたら、ある日の稽古で、演出の生田さんが私の台詞への振り返りで「この台詞はわたし。演劇について考えているわたし」という話をしていて、なんか、急に、ストン、と
「あーこれは生田さんの考えなんだな」とわかって、くよくよしていたのは自分じゃないんだなってわかって、
「ああ、こういうのが私がしていた演劇だなあ」と感覚を取り戻したのです。
リハビリ長いなあ。
この文章もながいなあ。
ただ、この公演を見て、何らかの穴にはまっている人が、そこから抜け出せる手助けをできたらいいなと思います。
三角フラスコ
渡辺千賀子