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【弱者とは何か03】強い者はいつだってズルいが、それには理由がある。

 私はずっと小さい時から団地住まいで、リビングに相当する部屋を除いて2部屋しかなかったものですから、兄弟はいつも一つの部屋で過ごしていたし、階下の人の迷惑にならないように、大声も上げないように注意していた記憶があります。

 それに対して学校の友達の中には、一戸建てのおうちに住んでいる人もいて、自分だけの部屋をもらっていたら「いいなあ、羨ましいなあ」と思ったりもしていました。

 あるいは、私は小学校の時からめちゃくちゃ足が遅くて、体育の時間ではいつも徒競走はビリでした。クラスには当然もっともっと足が速い子がたくさんいて、これも「いいなあ、みんなすごいなあ」と感じていたりもしました。

 こんな風に弱者あるいは「持たざる者」から見れば、「持てる者や強者」はいつも羨ましい存在です。弱者は強者に対して、どこか「妬み」のような気持ちを抱くのは自然なことでもあります。

 さすがに病的に嫉妬して、「あいつを呪ってやる」みたいなことまで考えるのはどうかとは思いますが、自分の弱みが「誰かの強み」とはっきり比較されてしまような場面に出くわしたら、誰もが「嫉ましい気持ち」を抱いてしまうし、それは正常なことだと言えるでしょう。

 なぜか?その理由は、

強者は、天から与えられたものでズルをしている

からです。

 団地住まいであることも、足の速さ遅さも、実は自分ではどうすることもできない「天から与えられた要素」です。

 あなたの「親が優しいのかネグレクトなのか」の違いも、あなたに「知力と学力があるのかないのか」の違いも、「実家が金持ちか貧乏か」なのかも、「健康なのか生まれながらに障害をもっているのか」も、前回出てきた強者と弱者を分ける4つの分野や要素のうち、その多くが

「自分ではどうしようもないこと」

が関係していることが多いのです。ですから、それを持っている強者は、最初から

「それを持てるという環境にある。偶然のもとにある」

という意味では、弱者からみればとてもズルに見えるし、実際にそれは不公平なことで合っています。

 「親があなたを大学に行かせてくれる財力があったかどうか」や、「そもそも仲間が自然にできるような自身のキャラクター」なんかは、あなたに決定権があるものではありません。

 ぶっちゃけ、大人しくて物静かなあなたに「陽気で明るくないお前が悪い」なんて言われても、どうしようもないことだったりするでしょう?

 逆に、明るくて友達や仲間が多く、どこのグループへも入ってゆけるヤツは「死に物狂いで頑張ってそうしている」のではなさそうです。天から与えられた性格がそうだったのだから、それは弱き者から見ればズルい話なのです。


 このことを、前回の話と合わせながらじっくり考えてみましょう。持てる者と持たざる者を分ける要素には、

「そもそも天から降ってきた生来の違いがある」

ということが今回の話でした。そして前回は、持たざる者が手にいれようとしても

「天から降ってくるように与えられるものはほとんどない」

ということもわかっています。

 この2つを足して考えると、とっても酷いことがわかります。

「持てる者、強者はその要素を最初から天に与えられていて、弱者はその要素を後から手に入れようとしても天は勝手には与えてくれない」

ということになります。これは、めちゃくちゃズルい話です。

 だから、弱者は強者に対して、ものすごく「向こうはズルいなあ。なんだかなあ」と感じるのですね。それは当たり前で、その感覚は合っているということです。


 では、天や神様と言うヤツはそれほどまでに「弱者に対して無慈悲で、強者に対してだけニッコリ微笑んでいる」のでしょうか?弱者はついつい被害妄想に陥りがちですから、「あいつらはいつも手に入れている」と思い込んでしまいますが、実はそうでもないのです。

 それは前回にも少し出てきましたが、

「天は持てる者であっても、容赦なく奪う」

ということを実際にやるからです。あれだけ才能があり、お金も持っていた志村けんさんがあっけなく新型コロナウイルスに倒れてしまうように、神様とやらは意外と無茶をします。

「持っている者、強い者から、何の理由もなく奪う」

ということをやらかすので、年収1000万を貰っていてもリストラされたり、大スターになっても癌になったりするわけです。

 だから強者にとって、手に入れたものは一見するとズルい手段で入手したのだけれども、ズルいが故にそれは「一瞬で失うはかないものでもある」という風に言い換えることができるでしょう。

 これで少しは、「ズルに対する公正さ」みたいなものが存在することがわかったと思います。

 それでも「弱者」は全体を通してみれば「損」をしています。なぜなら

「弱者であっても、天は失うことを除外・免除してくれはしない」

からです。災害や病気は、差別せず平等にやってきます。持てる者からも奪いますが、持たざる者からも奪います。

「だったら、持ってない、弱者である俺たちは損じゃん!」

と思うでしょう。それも合っています。その分は確かに損をしているのです。


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 しかし、強者と弱者がどちらが得で、どちらが損かをいつまでも議論しあっていても、結論は同じです。強者は得で、弱者は損です。

 それは変わりません。しかし、変わらないということは「永遠に弱者は弱者のままである」ということを認めてしまうことになります。

 そうすると、結論(つまり死まで)その状態から抜け出せないわけですから、どうしようもありません。(だから死にたい、という人が多いのも、頷けますね)


 問題はここからです。私たちには2つの道があるのです。まず、弱者が損であり、強者が得であることは、はいはいわかりましたよ!という感じですね。

 しかし、だからといって、損をしている弱者のもとに天から何かが降ってくるわけではない、ということでもありました。

 ということは、2つの道とはこういうことです。

A 天から何も降ってこないのだから、どうしようもなく、いつまでも弱者でいる道

B 天から降ってこないのであれば、何がしかの努力で「要素を手に入れてゆく」道

の2つです。これ以外はありません。


 そして、残念ながら強者もおなじで

C 最初からラッキーなので有利だけれど、そのまま生きてゆく道

D 最初のラッキーに付け加えて、さらに努力でもっと持てる者になる道

の2つです。

 Dの道を歩んだ人を、世間では成功者と呼ぶでしょう。

 Cの道とBの道のどちらが成功かは、微妙なところで50%:50%ぐらいかもしれません。もしかしたらBの人が追い抜く可能性もあります。

 Aの道をゆくと、弱者として死を迎えることになります。

 さあ、どうしますか?ということだけなのですね。実は。


 生まれ持ってのラッキーがどのくらいあるかは、人によっても違いますが、すべてを与えられて完全な状態でこの世に生まれる人はいません。ですから、持てる者や強者とはいえ、部分的には弱い部分や持たざる部分があります。その意味では、ほとんどの人は、BかCぐらいの人生を歩みます。

 Dの道を手に入れる人はごく一部ですが、あなたの人生にはたぶんあまり関係がない人たちなので、どっちでも好きにしたらいいと思う相手でしょう。ヒルズ族とか、どうでもいいでしょ?

 問題は、あなたはBなのか、Cなのか、いやはやAとして弱者のまま歩むのか、ということです。

  次回のお話に行く前に、この4つ以外に、どんな道があるのか?それとも4つしかないのか?4つしかないなら、自分はどうしたいのか?をじっくり考えてみてください。






 

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