【宗教2世支援者養成講座09】いろんな立場を整理する
宗教2世の支援について考察したり、まとめているこの連載ですが、ちょうどタイムリーなニュースが入ってきたので、今回はすこし「整理」のお時間としたいと思います。
統一地方選挙が終わり、一応は自民党が勝利したような形になったことで上記のようなニュースが出てきた、と感じるのは甚だ残念ですが、実態としては「反与党」VS「与党」の代理戦争としての「統一教会ネタ」の部分もあったということなのでしょうね。
まあ、このあたりの「宗教2世」をめぐる背後関係については、政治に詳しい人や、ある程度事態を俯瞰的に見ている人にとっては、面白い(失礼)ことが多々含まれているのですが、ふつうの宗教2世にとっては、あまり関係がないことですので、割愛しましょう。
さて、今回注目したいのは「宗教2世界隈」をとりまく「人」たちの考え方のバリエーションについてです。特にこの半年間、たくさんの人たちがメディアに登場して、それぞれの意見を表明しました。
そうした多様な意見が、寄り集まって総意として「対宗教」「対教団」へと向かうわけですが、全体としてのイメージと、個々の考え方には、もちろん差異があります。
みなさんも「支援者」として、あるいは「支援の受け手」として、そうした多様な考え方に触れることになろうかと思いますので、自分の気持がどれに近いのか、あるいは他者にはどんな考え方があるのかを理解する時間は、あってもよいかと思います。
A <伝えたいという気持ち>
■ 宗教の名のもとに生じる被害の実態について周知したい。
■ この宗教下の子どもたちは、こんな思いをしているのだと知ってほしい。
……他に知られていないことや、教団内部でしかわからないことなどを踏まえて、「こんなことがあるんだよ」ということをまず知ってほしい、という考え方です。
B <組織や教団に変わってほしい気持ち>
■ 宗教組織や教団に過去の問題について謝罪してほしい
■ あるいは教団内部の改革によって、問題点を改善してほしい
……宗教組織や教団を残存させる方向性において、社会に適合するように改革がなされてほしい、という考え方です。これにはまた多様な理由があって、宗教そのものや教団そのものを否定するわけではなく、問題点のみを改善してほしいという考えだったり、今も親や親族がそこに属しているため、教団がこれからもありつづける、という前提で考える目線もあるでしょう。
C <組織や教団を消したい、解散させたい、規制したいという気持ち>
■ カルト教団を野放しにはできないので、そのものを無くしたい。
■ できるなら組織を解体したい、解散させたい。
■ 少なくとも問題行為については法的な規制をかけたい。
……元凶を断つために、組織や教団そのものを解体させたいという気持ちを持つ人たちも多くいます。メディアで声を上げている宗教2世の主流派が、これに近い考え方の人もいますので、どうしても目立ちがちかもしれません。
また、上記を実現するために「法整備」「法改正」などを政治的に要求したり、掲げることが多いと感じます。
D <被害の回復やケアを中心に考えたい気持ち>
■ 宗教における問題点を把握し、それに対する個人的なケアや解決に努めたい
■ 対組織の観点よりも、対個人への気持ちを優先する立場
■ 自助グループ、ピアサポート、カウンセリング含む
……組織や教団に立ち向かうため、というよりは、生じた被害を回復するために「こんなに苦しんでいる人たちがいます」ということを自他ともに含めて紹介する立場の方も多くおられます。
ケア論が中心になるので、「発達障害」「愛着障害」「PTSD」などの心理的側面からのアプローチが増える立場です。
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ざっと整理して概観しましたが、それぞれの考え方や立場によって、限られた一つではなく、領域が重なった複数の視点を持っている方も多いと思います。
また、個人的な支援者や、支援の受け手においても、「自分はどんな気持ちに近いかな」というイメージ、感覚を抱いている方も多いでしょう。
どれが正解とか、どうすべきではなく、自分の肌感覚にあった「気持ち」をいったん整理しておくことは、意義深いと思います。
(もちろん、これから気持ちや感情に変化が訪れることもあり得ます)
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さて、なぜ今回こうした話をしたかというと、週刊文春さんの記事にもあるように「統一教会の解散が難しい」ということが文科省からの、ある意味「リーク」があったことは、ここらでいったん落とし所になる可能性が非常に高いからです。
山上事件後、急転直下で事態が動き、「救済新法」の成立と、「厚労省宗教虐待ガイドライン」までは、一気に話がまとまりました。これは与党・野党が珍しく協調して、「ここまではやれる、やろう」ということが誰からも反対なく進められたことを意味します。
ところが、そこから約半年間、小さな動きは繰り返されているものの、進展の速度が遅くなったのは、誰もが気付いていることと思います。文春さんの記事にも(匂わすように)出てきますが、これは「統一地方選挙を睨んだ攻防」だったわけで、
『統一教会とタッグを組んでいる自民党でいいのか!』という路線を訴えたい反与党派と
『いろいろあるが、現勢与党として押し切る』という腹づもりの与党派の
水面下の戦いだったわけですね。これはぶっちゃけ選挙の話だったのかもしれません。
このあたりは「大人の論理」ですから、宗教環境下にあった2世、つまり「子どもたち」の気持ちは、いったん放り出されたようになっています。
結果としては与党勝利で「決着がついた」からこそ、このタイミングで「統一教会解散を求めるのは厳しい」という本音がポロりしてくるのだと思います。
(文科省の担当者は、まさにベタな流れだが、それが悔しい、とおっしゃってるわけですね)
さて、だからこその整理で、これからの気持ちをもういちど再確認しておきたいのです。
■ いやいや、まだまだ訴えてゆくぞ!
という気持ちの人もいるでしょう。そういう活動に邁進する方もおられると思います。
■ あ、ここが落としどころか
と気付いてしまう人もいるでしょう。だとすれば、「宗教2世を取り巻くお祭り騒ぎは、いったんお開き」だと白けてしまうかもしれません。
■ 結局、ダメだったのか
と落ち込んでしまう人もいるでしょう。山上事件以降の宗教2世に対する機運の盛り上がりが、こうした形で中じめを迎えるのは、すこし残念なことかもしれません。
けれど、「宗教2世の支援」の現場の目線は、すこし違います。メディアで取り上げられることは、それはそれとして尊重しながら、
「あくまでも、自分の身の回りの、自分の課題や気持ちについて、ケアしてゆく。あるいは身近な人を支援してゆく」
という日常を基盤とした目線を忘れずにいたいものです。
宗教の影響として「救世主を求めてしまう」というものがあります。
宗教2世問題を、どこかの誰かが一気に解決してくれたり、何かの制度や機関が処理してくれるかもしれない!という希望は、もしかしたら「やってこないハルマゲドン」と同じかもしれません。
いつか自分の所属した教団や組織が「こうなる、ああなる」と思うのは希望ですが、永遠に実現しない希望のままかもしれないのです。
希望を持つことは大切ですが、それに囚われてしまうと、なんのために宗教から離れたのか、わからなくなります。
身近な、背のたけにあった、自分ごとの、自分なりのケア。
を意識したいものです。
(つづく)