宗教2世が”救われる”とはどういうことか? 〜世代論として〜
2022年の流行語大賞に「宗教2世」がトップテンに入賞する形で取り上げられ、いっそう社会の関心を集めているところだと思います。
このことについては、そもそも「流行語」として「宗教2世」として捉えるのはどうなんだ?みたいな議論もありますが、広く世間の注目を集めるという意味では、まったくの無価値であったりあるいは、そこを大きく反論すべき問題ではない、と思っています。(もちろん、取り扱いにはとても配慮が必要なことばです)
それでも今年「宗教2世」が流行語となったのは、やはり山上容疑者による安倍元首相への銃撃事件が起きたからであり、それが社会全体を揺るがすものとなったことには、とても重みがあったと思います。
実際には、2016年ごろから徐々に、自身の宗教からの脱却体験を記した出版物が発行されたり、あるいは2020年前後は、宗教1世・2世に限らずカルトからの脱会体験が漫画として広まったりした流れがあり、そうしたメディア展開の上で、今回の事件、そして流行語大賞への連続性があったものと押さえておくことができるでしょう。
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ところが、そうした「宗教2世」といった存在が「この社会にあるんだ」という段階にまだまだ止まっていて、すでに5〜6年に渡ってメディア展開がなされているにも関わらず、まだまだ社会には「へえ、そうなんだ。それは可哀想だね」というレベルでしか受け止められていない現状もあります。
こうした事態を、「宗教2世のコンテンツとしての消費」だと危機感を抱いておられる方もたくさんいますし、今年のように「流行語大賞で終わってしまう」ことで、今後、この問題が”終息していったかのように見えてしまう”ことこそが問題だと感じている方も多いことでしょう。
実際にそれぞれのカルトや教団で何が起きているのか?というテーマは、第一段階としてとても大事です。そして、現在法制度が議論されているように、「それをどう防止したり、被害者を救済するのか」という第二段階も大事です。
さらに「法制度で救済できない被害者や2世をどうケアするのか」という第三段階に至っては、まだその議論にすら到達していないと言えるかもしれません。
さて問題はここからです。宗教2世という言葉が注目を集め、政府が動いた。何がしかの法案などが可決されて、取り急ぎの救済策が動き出した、としましょう。
その近い未来において、「宗教2世」問題が解決されて、ああ、よかったねということには
全くならない!
ことを今日はお話したいと思います。
これはどういうことかというと、実は世代論の問題なのですね。
まずは下の図をご覧ください。
宗教2世とひと口に現在「くくられて」いますが、カルト的な教義によって人生に多大な影響を受けている人たちは、上の図のように世代別に把握することができます。
現在問題になっているカルト的新興宗教の多くは、それが「新興」と呼ばれるように、おおむね1960年ぐらいから社会に影響を及ぼすようになってきました。
そのため一概に「宗教2世」といっても、少なくとも
◆ 現在30〜40代で既に社会人になっている宗教2世が、今は教団から距離を置いていても、過去の被虐によって苦しめられているもの。
(もちろん、簡易的な分類なので、50代以上の方もおられます。そうした方は教団草創期などを知っている方かもしれません)
◆ 現在10代〜20代で、まさに青年期の生き方の問題として苦しめられている宗教2世。(教団に属しているままの人も)
◆ まさに今教団の支配下のもとで親子ともに宗教に属している2世。
の3つの分類ができるようなパターンがあり、なおかつ
◆ それぞれの年代において付随的におのずと発生する宗教3世
もが存在するということなのです。
恐ろしいのはここからで、今後宗教に対する指導や規制、あるいは被害者救済の法案など、いろいろなことが整備されたと仮定しても、実際に救済を受けるのは、2022年以降に存在する宗教2世のみであり、
「遡って、過去から続く宗教2世体験が物理的に救済されるわけではない」
ということなのです!
もちろん、現在の40代、30代、20代の方は
「自分たちのような被害が二度と生まれないために!」
という気持ちで声を上げています。だから未来に向かって、未来の子どもたちに対して、そうした存在が生まれないように!ということを願っています。
それはまったく「利他愛」の気持ち以外のなにものでもなく、彼らはそうすることで、間接的に自分たちの過去を納得しようとしているわけです。
『彼ら自身には、救いの手が来ていないのに』
それでも声を上げてくださっているわけです。
こうした世代構造を理解すると、社会において宗教2世問題は、もっともっと広く、大きな課題を秘めていることがわかります。これまでそれらは2世たちの個人的な社会適応努力によって結果的に隠されてきてしまったけれど、実はこの社会に厳然と横たわっていて、もっともっと大きいものなんだ、ということに気づいてもらえると思います。
彼らはたった一人で、過去を隠しながら頑張ってきたのです。
あなたの会社の隣の席にも、そうした隠れた努力をして、今まで生きてこられた方がいる、ということなのです。
あなたの夫や妻が、実はそうだったということもあります。それすらも彼や彼女は、まだあなたに伝えていないかもしれません。
それを知った時に、この問題を知らなかった読者のあなたの気持ちが大きく変わり、なんということだ!と驚いてくれるのであれば、社会はもっとよくできるという希望があると思います。
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また、当事者の方にとっては、こうした構造の中で、それでも自分の過去が救われてゆく、という体験や視点が大切と思います。
そうした点については、また折りに触れ考えてゆこうと思っています。
(紹介していた動画の公開が終了したので、一部改訂しています)