2007年の備忘録 香港 ~ 澳門
香港二日目
両替を終え、宿主にビザ代+賄賂で320H$(約5500円)支払ってから観光へ
ネイザンロードからスターフェリー乗り場へ向かい、ハリウッドロード等をブラブラ
大都会なので東南アジア感はあまり感じなかった。
まだ若かったこともあり、100万ドルの夜景で有名なピークトラムまで歩いて登ってみる。
真昼間であったため、汗だくになるが登り切って夕暮れを待った。
暗くなるに連れてカップルが増えていく。
やはり、地元でも定番のデートコースのようだった。
100万ドルの夜景をみて夕食へ
テレビで見た景色って以外には大きな感動は無かった。
夕食の麻婆豆腐が激辛だったとメモがある。
今でいう麻辣だったのかどうかすら覚えていないけどまずいと書いていないということは旨かったのかな?
宿に戻ると日本人バックパッカーが増えていた。
増えていた人たちは翌日帰国と聞いたのでここから先のルートについて情報をもらってメモ。情報のお礼に日本で買ったタバコをわけてあげた。
後から気づくのだがアジア(特に中国)で本物のマルボロを手に入れられることはレアだったのでかなり貴重品だった。
※当時は今と違い、mixiくらいしかSNSが無いので主に宿のノート、旅行用掲示板、口コミなどで情報交換していた
香港三日目
友達になった人たちと地元民で人気という話を宿主から聞いた安い飲茶へ
鳥の足とかワンタン、魚のミンチ?みたいなものの入った混ぜご飯、飲茶だったらしい。一人当たり9H$で約180円。地元向けの店はまだまだ安いところもあった時代みたい。
飲茶から戻ると店主が中国ビザを渡してくれたのでチェックアウト。
フェリーで澳門へ移動。フェリーの中で食べたカップヌードルが完全に日清のシーフードと同じ味だったと書いてある。
多分、普通に日清だったのだろうなと今は思う。
フェリー乗り場からはカジノ付きホテルのバスへ搭乗。
※カジノ付きホテルのバスは無料で乗れる情報があったので当時のバックパッカーはみんなカジノ付きホテルのバスに乗って市街地へ移動していた。
市街地に進んだ後は情報ノートに書いていた安宿へ移動
ホテル倫敦という宿へ到着。
日本の汚めのビジネスホテルくらいの内装なのだが、ロビーではセクシーな服装のお姉さんがタバコを吸いながら談笑していた。
チェックインをしてエレベーターに乗り込むとお姉さんの何人かが一緒に乗ってきた。抱き着いて着たり、手を握ってきたり。
どうやらコールガールらしく、私を買わないかとの交渉。
そんな金も無いし、男三人の相部屋だからと断りつつ、値段を聞いたら300H$(約5100円)だと言っていた。
これが、小説で読んでいた売春宿ってものなんだろうなと思った。
とりあえず断って街へ
歩いていたらおばさんに呼び止められた。
ポケットに入れていたお金を落としたらしく、走ってきて渡してくれた。
さすがはお金持ちの街である澳門。人の優しさに嬉しくなった。
まずは澳門名物カジノへ
ルーレット、大小、ブラックジャックを遊んで最終的に400H$(約6400円)ほど負けたとメモに残っている。当時、深夜特急を読んで澳門のカジノに憧れていたのでちょうどいい勉強代だったのかな?
深夜特急に書いていた攻略法など通じるわけもなく、普通に惨敗した。
その後、負けてお金も無いのでマクドナルドでビッグマックを食べた後は街中をブラブラと観光してビール片手にホテルに戻った。
ホテルの部屋でダラダラしていると部屋の電話がなった。
何かと思い、電話に出ると、コールガールからだった
内容は
「私を買わないか?複数人でもいいよ」
興味が無かったと言えば嘘になるけど病気も怖いので断って寝ることに。
香港と違って街がキレイだったのを覚えている。
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