2_8_放射線と原子及び分子の関係
「molと聞いて頭痛を起こす人たちのための化学+」シリーズ-8
【放射線と原子及び分子の関係】
今回は前回までと分野ががらりと変わります。前回までが原子と分子の形の話でした。特に官能基の話となると有機化学の範囲です。今回はお題目にある通り、放射線の話です。どちらかといえば化学ではなく、物理の範囲で爪先が量子力学にかかっています。(今回は量子力学は出ません。)しかし、放射線の話は原子間や原子・分子の運動を説明する際に出てきます。その度に説明すると一貫した捉え方ができなくなるのでここで基本的なことを説明しておきます。
今回は最初に放射線の分類から入って、続いてその性質と原子・分子に与える影響を説明します。
1.放射線の分類
放射線の分類方法は二通りあります。何でできているかの分類とエネルギーの強さによる分類です。これらの分類は非常に重要というほどではありません。こんなものがあるのだという感覚だけで良いです。
1-1.その放射線は何でできているか
先ずは何でできているかの分類です。この場合は粒子線と電磁波に分けられます。
粒子線は中性子や電子などの原子より小さい粒子が高速で飛ぶものです。具体的には陽子2個と中性子2個(Heの原子核と同じ)からなるアルファ(α)線(alpha ray)、電子からなるベータ(β)線(beta ray)、中性子からなる中性子線(neutron ray)です。これらは核分裂反応(nuclear fission reaction)や核融合反応(nuclear fusion reaction)の際に発生するもので、例えばHeガスに放電して電子を弾き飛ばして原子核だけにした状態のHe原子核が飛んでいてもアルファ線と言うことはありません。同様にブラウン管の電子銃から飛び出す電子線(或いは電子ビーム)をベータ線と言うこともありません。
一方の電磁波は電場と磁場が作る波のことで、大雑把に「光」と同義と考えて問題ありません。具体的には、ヒトが目視できる可視光線(visible light)、ヒーターなどでおなじみの赤外線(IR、infrared ray)、電子レンジなどで使われるマイクロ波(microwave)、通信に使われる電波(ラジオ波、radio wave)、日焼けで話題になる紫外線(UV、ultraviolet ray)、レントゲン撮影で使われるエックス線(レントゲン線、x-ray)(蛇足:法律では“ッ”は大文字で書かれる)、核分裂反応で発生するガンマ(γ)線(gamma ray)があります。ガンマ線はアルファ線などと同様核反応で発生した電磁波のみに適用される名前です。
1-2.放射線の強さによる分類
続いて、エネルギーの強さによる分類です。こちらは単純に原子・分子をイオン化できるor原子間の結合を切ることができるエネルギーを持つ放射線を電離放射線(ionizing radiation)、できないものを非電離放射線(non-ionizing radiation)と言います。
「一般的に放射線と言えば電離放射線のことを指す」との文言を見ることが時々ありますが、これは変わりつつあります。(そもそも「一般的」とは何ぞやと言う問題がありますが。)「放射線」と言うだけで勘違いして危険視する方々があまりに多かった時代があり、この誤解を解くために「非電離放射線も放射線である」と言う正しい説明がしっかりとなされるようになって前述の文言を使うことが減ってきました。私自身も四半世紀以上この勘違いを訂正し続けてきたので本稿では前述の文言をはっきりと否定します。
脱線から戻ります。電離放射線として扱われるのはUV、エックス線、核反応で発生する放射線です。
注意していただきたいのは、あくまでその放射線で電離する(電子を弾き飛ばす、原子間の結合が切れる)のであって、例えば赤外線ヒーターで加熱しすぎて熱がこもって火がついてしまった(炎はイオン化した可燃物)としてもそれは電離放射線ではありません。
2.放射線のエネルギーと線量
ここで、放射線が原子・分子に与える影響を説明する前に、放射線(基本的に電磁波)が持つエネルギーと線量の説明をしておきます。
先ずはエネルギーからです。エネルギーと電磁波には以下の関係があります。
E=hν=h/λ
Eはエネルギー、hはプランク定数と呼ばれる一定の値、νは電磁波の周波数、λは電磁波の波長です。周波数が波長の逆数であることは音波や海の波と同様です。大雑把に言えばこの式は波長が短い(周波数が小さい)ほどエネルギーが大きいと言うことを示しています。次の説明ではエネルギーが低い順に書いていきます。
もう一点、馴染みのない方々が勘違いし易いものとして線量(dose)があります。こちらは放射線の本数のようなものです。この後に説明しますが、エネルギーが低い放射線は幾ら長時間照射したところで、原子間の結合を切ることはできません。壁をハンマーで何度も叩くといつかはひびが入るのとは違います。逆にエネルギーが高い放射線の照射時間を減らしたところで原子間の結合が切れなくなるわけではありません。結合が切れる分子の数が減るだけです。
放射線の影響を調整したい場合は基本的にエネルギーではなく線量を変えます。時間や照射する面積を変えればよいので簡単にできます。一方でエネルギーは発生源に手を加えなければ変えることができません。これは人為的な場合は何とかなりますが、人の手に余る場合(例:太陽)は何ともなりません。
3.放射線が原子・分子に与える影響
電磁波と粒子線に分けてエネルギーの低い順に説明します。
3-1.電磁波の影響
3-1-1.電波とマイクロ波
前述の電磁波で最もエネルギーが低いのは電波(ラジオ波)でその次に低いのがマイクロ波です。この2つは性質が近いので以降マイクロ波で統一します。マイクロ波は遠くとの通信で使うので分かると思いますが、物質で遮られることが少ない電磁波です。これはどういうことかと言えば、物質にぶつからず反射・散乱させられ難いということです。ぶつかったところでも原子や分子の運動を速くする程度です。従って、化学反応の話で取り扱われることが少ない放射線です。(次に説明するマイクロ波加熱などの”手段”としては頻繁に使われます。)
電子レンジや医療で使われる高周波加熱の場合は誘電加熱(dielectric heating)という現象が起こっています。水などの電気的に偏りのある分子はマイクロ波を受けると一定の方向に向きます。このマイクロ波の向きを激しく変え続けると分子は動き回って運動エネルギーを発散(周りの分子にぶつかる)します。この発散されたエネルギーが熱となって食べ物などを温めます。電気的な偏りについては別の機会に説明しますが、大雑把にOHを持つ分子が多いと考えてください。例えばアルコールなども電気的な偏りがあるので水以外でも温めることができます。
この誘導加熱は人体にも影響を与えるので高い出力の場合は防御することが求められます。これが電子レンジの窓にある格子状の構造物で、電磁シールド(electromagnetic shield)と言います。マイクロ波の波長より短い金属の網目でこれらの電磁波を止めることができます。
3-1-2.赤外線
続いて低いエネルギーを持つのは赤外線です。赤外線はヒトの目には捉えられない光です。マイクロ波と同様に散乱し難く、大気の中をほぼ直進します。この次にエネルギーが高い可視光線と同様に物質を電離させることはできません。
赤外線より高いエネルギーを持つ電磁波は原子間の結合に影響を与えます。赤外線の場合は原子間の結合の運動に関わってきます。原子間の結合はその結合の種類と運動毎に決まったエネルギー(赤外線)を吸収し、放出します。ここで言う”運動”とは原子間は距離の伸縮と回転、1個の原子を挟んだ角度の開閉や捻じれなどです。これを利用することで、分子の構造を知ることができます。知りたい物質に赤外線を照射すると対応する結合の赤外線を吸収されます。残りの赤外線は透過するのでその波長と透過率を調べるとどんな結合があるかが分かります。ここからその分子に含まれる結合を調べ、分子の構造を推測します。実際には物質ごとのライブラリ(検索のための記録)があるのでそこから探します。この方法は赤外線を透過させるので薄くて透明な物質にしか使えません。また、水は赤外線の幅広い領域を吸収するので水溶液にも使えません。一部の有機溶媒であれば、何も溶かしていない状態の吸光度(光の吸収率のこと)を引き算することで使えます。
3-2-3.可視光線
自然科学の話をしない場合の「光」に該当するのが可視光線です。エネルギーとしては赤外線と紫外線の間に位置します。と言うより、可視光線の赤よりエネルギーが低くてヒトに見えないのが赤外線、紫よりエネルギーが高くてヒトに見えないのが紫外線と表現するの名前の由来を反映させた本来の呼び方です。
ヒトの目に捉えられる”光”と言うことで色毎の特徴が研究されてきました。波長の長い赤や橙は大気の中で散乱されず直進し易く、逆に波長の長い紫や青は散乱されほとんど直進できません。色毎の屈折率の違いからプリズムなどで色を分離可能で、ここから分光学(光を性質で分けて研究する学問)が進みました。
可視光線も電離はさせませんが、分子の構造に合わせて光を吸収します。こちらは有機物の場合ほぼ官能基毎に吸収が決まっています。これは紫外線も同様で、可視光線~紫外線の領域で光を吸収させて残りの透過光から物質の構造を推測することができます。赤外線の場合と同様に実際には物質毎のライブラリを使って検索します。
逆に発光で物質を調べる方法もあります。物質にエネルギーが与えられ、電子を放出(電離、ionization)した後、今度はなくなった電子を補い、与えられたエネルギーを放出して安定した状態(基底状態、ground state)に戻ります。この時放出されるエネルギー(=光)は元素毎に決まっているのでその光の波長を調べるとどの元素があるかを知ることができます。馴染みのない方々には面倒臭そうに思えるかもしれませんが、早い話が”花火”の色はこうやって作られます。
3-2-4.紫外線
紫外線は可視光線よりエネルギーが高く、原子間の結合を切ることができます。つまり、ここから先が電離放射線です。この紫外線の結合を切る効果はプラスチックの劣化や細胞の損傷を引き起こします。紫外線による殺菌は理容店などで見たことがあると思います。また、高分子(樹脂やゴムなど)を合成する際、反応の開始剤(”薬剤”ではないけれど)として使われることもあります。
前述の通り、可視光線と同様に光の吸収や発光を使った分析に使えます。
3-2-5.エックス線
ヴィルヘルム・レントゲン博士が発見したことから別名レントゲン線とも言われています。健康診断で使われるので自然科学に馴染みのない方々でも体を透過して骨を見ることができる放射線であることはご存じだと思います。勘違いされていますが、エックス線を通さないのは金属だからではなく、原子量が重かったり、密度が高かったりするからです。従って、肺炎で肺に水が溜まるとエックス線が透過できずに白く映ります。
さて、エックス線を発生させる方法は幾つかありますが、ここでは二つ書いていきます。高速で飛ぶ電子が原子の近くを通ると軌道を曲げられます。この時ブレーキ痕のように周囲に放出されるエックス線を制動エックス線(制動放射線、bremsstrahlung)と言います。こちらはレントゲン撮影などに使われます。
もう一つが高速で飛ぶ電子或いは高いエネルギーの電磁波が原子の内殻の電子を弾き飛ばし、そこへ外側の電子が遷移(異なるエネルギー順位に移動すること、transition)するとそのエネルギー順位の差分のエネルギーがエックス線となって飛び出すものです。元素に特有のエネルギーを持つことから特性エックス線(characteristic X-ray)と言います。こちらは物質に含まれる元素の分析に使われ、この時は蛍光エックス線分析(X-ray fluorescence、XRF)と言われます。この分析方法は対象を壊さない分析方法(非破壊分析法、non-destructive analysis)で考古学や建築物の検査で用いられます。
3-2-6.ガンマ線
最後に説明する電磁波はガンマ線です。エネルギーの低い電磁波から書いてきましたが、前述の通り、エックス線よりエネルギーが高いからガンマ線と言われるわけではありません。核反応で発生した結果、エックス線よりエネルギーが高かったから別の放射線として分類されただけです。
ガンマ線のエネルギーは非常に高いので簡単に物質を貫通し、原子・分子に当たると結合を切ったり電子を弾き飛ばしたりします。電気的な性質も持たないので曲げることも非常に難しく、止めるためには1m以上のコンクリートの壁が必要とされます。(放射線取扱主任者の教本より)
ガンマ線はガンマ線滅菌や癌の手術(ガンマナイフ)、植物の成長を止めて保存するためなどに使われますが、化学の実験や分析で使われることはほとんどありません。私は大学での卒業研究でガンマ線照射施設を使わせてもらうことがあったのでその辺を少しだけ勉強しましたが、これは稀な例です。
ガンマ線に関する大きな勘違いとしてガンマ線を照射すると放射線を出すようになると言うものがあります。放射性物質の原子核は非放射性物質のそれと含まれる中性子の数が異なり不安定なので崩壊して放射線を放つのであって、中性子を作り出すわけではないガンマ線は相手を放射性物質にすることはできません。できたらノーベル賞を貰う前に正気を疑われるでしょう。
3-2.粒子線の影響
最後に粒子線をまとめて説明します。これらもまた、化学の領域で扱うことは稀だからです。粒子線に関しては止め方を中心に書いていきます。
アルファ線は空気中では直進することができません。正の電荷を持つので電気的な力で容易に曲げることもできます。教本には「紙切れ一枚で止められる」と書かれていますが、質量が大きく分子に照射された時に結合を切る力は強いので生体における内部被曝(漢字を間違えないこと)が話題になります。
ベータ線は電子なのでアルファ線同様に電気的な力で簡単に止められます。教本には「アルミ板一枚(厚み4mm)で止められる」と書かれています。が、それだけ薄いアルミ板は物理的に弱いので補強・保護を推奨されています。
中性子線は電荷を持たないため電気的な止め方はできません。中性子線を止めるためには大量の水や厚いコンクリートの壁を使います。この時、中性子線は他の原子核に吸収(absorption)されるか散乱(跳ね返ること、scattering)してエネルギーを失います。原子核に吸収された場合はその原子核に余分な中性子が増えるので不安定になり、放射性物質になったり(放射化、radioactivation)、核分裂が起こったりします。どちらが起こるかは対象の原子の種類によって異なります。
放射化は副産物としては前述のコンクリートの壁が放射性廃棄物になってしまいますが、一方で人為的に放射性物質を作ることで医療などに用いられたりします。
核分裂では中性子線が原子核にぶつかることで連鎖的に中性子線を放出し次の核分裂を起こすことがあります。これが原子炉です。ここに中性子を吸着させる物質(制御棒)を割り込ませることで反応を制御します。或いは他の放射性物質(この場合はウランやプルトニウム)を中性子線が届かない場所に小分けにしてしまえば連鎖反応は止まります。
散乱された場合は飛び回るために十分なエネルギーを失うまで飛び続けます。
4.最後に
基本的な放射線の説明を書いてみました。前述の通り、化学では放射線そのものを題材とすることはほぼありません。そのため、「遠赤外線」や「近紫外線」と言った細かな分類は取り扱いませんでした。しかし、分析ではかなりの頻度で使われます。一部の反応も放射線のことが分かっていると理解が楽です。また、放射線に関しては大昔からでたらめな情報が飛び交っているのでそういったデマに引っかからないためにも知っておいた方が良い分野です。