短篇小説『あんたがたどこさ』
むかし愛したひとが帰ってきました。
何年が過ぎたのかしら。鬼乃助さんが帰らなくなってから、この家は時を留めた儘……
なんて云えたらよいのだけれど。たしかに桃色に塗ったモルタル壁のいまにも崩れそうな一軒家に私は独り棲みつづけているけれど。
かつて鬼乃助さんの寝起きした部屋にも洗面所にも浴槽にも玄関にも、私の服やら化粧品やら薬類やら小説本やら新聞やら、雑貨店で買ったレプリカの観葉植物群、タイとカンボジアとインドとネパールとカナダの人形や彫像たち、使えなくなった家電や使わなくなったダイエット器具、書きかけの手紙や編むのをとめられない鬼乃助さんの為のマフラーやセーターなんかが溢れていて。虫が嫌いだから、生ゴミだけは野菜の屑ひとつ残していませんわ。
とにかく鬼乃助さんを外に20分待たせて、荷物を可能な限り2階や階段に放り投げ、真昼なのに雨戸を閉め暗くして。鬼乃助さんを居間へとみちびき寄せました。鬼乃助さん用の落語家みたいな紫の厚い座布団しいて、卓袱台の前座らせて。照明はそこと、台所だけ。まるでちいさな劇場でふたり芝居をしているみたいじゃありません? 鬼乃助と桃音のふたり公演、タイトルは何かしら、ふふ。
鬼乃助さんの好きなアイス珈琲を淹れました。ちょっと色っぽいくびれのあるグラスに、ストローをさして。昨日もそうしていたような気分。とはいえやはり何年ぶりかの鬼乃助さんは、ジーパンの釦が留らないほど腹が膨らんで、顔の輪郭がゆるんで瞼も垂れて、ずっとうすく微笑んでいるみたいに視えます。
そうだわ、鬼乃助さんのいちばん好きなレコードをかけなくっちゃ。でも何処へやったのかしら。私はふたり芝居の最中なのに舞台袖の闇へひっこんで、あちこち掻きわけたり倒したり破ったり壊したりするけど視つけられません。と云うか私の荷物はこんなに溢れているのに、鬼之助さんの所有物は何もなくって可笑しい。もとより物をおかない遺さないひとだったから。そのレコード以外のことは《煙草の銘柄は?》《どんな下着だった?》《キスの仕方は?》とか、いまとなってはすべてが曖昧で。塵と埃ばかりが舞い、嚔と洟と泪がでます。
《棄てたのかしら。鬼乃助さんが帰ってくるのなら、遺しておくべきだったわ》
私はアイス珈琲を前に諸諸ゆるませた儘の鬼乃助さんをおいて、鬼乃助さんのいちばん好きなレコードを探しに桃色の家、もとい劇場の外へ出ます。
私たちに台詞は、会話はなかったから。鬼乃助さんは私の桃音という名前すらいちども呼びませんでしたから。あのレコードだけに、私と鬼乃助さんを繋ぐ言葉があったのです。それから鬼乃助さんが冬でも飲むアイス珈琲を私が淹れることが、セックスをしてくれなくなって以降も鬼乃助さんとひとつになった心持になれる唯一の手段でしたわね。
私は何故か、レコード屋には足が向きませんでした。いつも横眼にすぎるだけの中華食堂にはじめてはいって、何も頼まずジャンプとサンデーとマガジンの本棚やキッチンの収納や冷蔵庫やビールケースを漁って、ノッポの店主に猫みたく衿を掴まれタベナイナラカエテヨと追い出されました。それから河沿いにいならぶ団地の第23号棟6階の知らない部屋の呼び鈴をおして。髪を一本のこらず真っ赤なカーラーでみごとに巻いた奥様に「手長猿りんたろうのレコードをお持ちではないかしら?」と尋ねたら、あちらは私を上から下までじっと眺められたあと、鉄のドアを私の鼻先かすめ閉めてしまわれました。
電車の高架下を歩きつづけるうち、変な建物に出会いました。お家、アパート、オフィス、スーパー、ましてお役所なんかでもない。桃色をこえたショッキングピンクの煉瓦の壁、4階の屋上のうえに更にたつ青いトンガリ屋根と旗をつけた3つのちいさな塔……まるでお砂糖と添加物たっぷりのお菓子のお城みたいですわ。夜にはきっと華やかに光るでしょう、少女漫画みたいな薫りたつ絵柄の薔薇たちや『いたずらな仔犬』という悩ましいラインの文字の描かれた縦長のネオン看板が迎えてくれてはいますが……窓が少なくて、入口も何処なのか、わかりづらい。
私は何かを感じて、騙し絵のようにエセ煉瓦の壁と壁のはざまに巧妙に隠されたエントランスより入りました。
なかはやはり窓がなくてうす暗くて……ロビーや階段や廊下まで、緑のビロード絨毯でおおわれています。ふみしめると、なんだか少女の頃を、夕立があがったあとの薫る芝生を独りゆく帰り道を思いおこします。
ロビーと云ってもただ広いだけで、従業員の姿も視えません。無造作におかれたパイプ椅子に比較的若い男女が、10組か、もっと座っています。まぁ勿論私だって此処が何なのかぐらいわかっておりましてよ。なんでもない日のなんでもない町のこんな連れこみ宿でもかなり混んでいるようで、壁にあいた穴より柴犬みたいな黒ずんだ鼻と口があらわれ「53番でお待ちの方、どうぞ」と、声がかかります。客は皆事前である筈なのに、まるで激しい季節を既に終えたかのように、男が眼を充血させ「グゲェ」といまにも吐きそうにえずき首を肩をバキバキ鳴らし腰を曲げさすっていたり、女が顔を蒼くし髪を荒らしミニスカートの股をおおきくひろげ煙草を吸っては激しく咳こんだりして。何か踏んづけそうになったので後退ると、床に敷かれた新聞のうえに老爺と老婆のカップル?が横たわっていました。日光浴の如く、もしくは心中の如く眠りこけて。此処はある種の病院、或いは医療テントなのかしら? とも思います。
私は独り緑の階段をのぼります。部屋で何やらドタバタ暴れている音や、男だか女だか判らない野太い悲鳴など聴きながら。何階でしたでしょうか。私はそのフロアにエントランスで感じたより更につよい、第六感とノスタルジーとリビドーの33%ずつまざったものを感じ、緑の廊下を歩きます。ひとつだけ、開け放たれた儘の部屋。部屋の絨毯まで緑です。まだ片付けられていないのでしょうか、シーツがそれ相応に乱れ、「独りでパジャマ着れるかなぁ?」と点けっぱなしのテレビが歌っていて、壁際に潰れたビール缶や使用済のゴムなんかがおちていて……
そして、ベッドの枕元にレコードプレイヤーがあり、LPが黒黒と艶艶と乗っています。ベッドと壁の隙間の闇におちている何かへ、私は一種のプレイもしくは荒行もしくはリハビリの如く懸命に手をのばしました。そこはまた酷い塵と埃で、また嚔と洟と泪。……掴んだものはジャケット、床屋に行っていないだけでしょう無益にながい髪をしてガリガリに痩せた軀にずりおちそうなパンタロンを穿かせた年齢不詳の男の写真。そして左端に醤油のシミ。その色といい私の故郷岡山県を偲ばせる輪郭といい、あきらかに、鬼乃助さんが何より愛聴した手長猿りんたろうのLPジャケットそのものでした。
私はまだ洟をすすり泪を拭きながらレコードと、ついでに盗んだプレイヤーを抱きしめ桃色モルタルの我が家、いいえ劇場へと戻りました。少女の頃を回顧せずとも、もう日暮れさえ過ぎ、夜です。少女の頃より胸を高鳴らせています。遅くなると叱る怖い御母様がいないかわりに、鬼之助さんが待っているのですから。
くびれたグラスのアイス珈琲はすこしも減っておらず、氷が融けきって墨汁のように濃淡模様を揺らしています。鬼乃助さんもやわらかいとか穏やかと云うより、顔という器のなかでパーツすべてが融けかけた風情で、座布団に座った儘。
「これ、憶えているでしょ。今からかけるわね」
そう云っても鬼乃助さんは、焦点のあわぬ眼。いま心を留める対象が、私やこのレコードの他にある筈がありません。音を鳴らせばきっと解ると、レプリカのサボテンとベンジャミンとトーテムポールをどけコンセントを挿し、プレイヤーに盤を、そして針を乗せんとしたとき。
「この男、とっくに死んでるよ」
レコードよりさきに、ノイズを散りばめた女性の声が、響きました。ふりむくと、鬼乃助さんの顔、ひろい額だけが、ネオンのような赤に染まっていて……グラスの珈琲とおなじふうに蠢いたかと思うと、昼間に会った団地第23号棟6階の奥様が、たしか表札には雉井沢さんとあったでしょうか、髪を一本のこさず赤いカーラーで巻いた儘、眉とアイメイクだけ丹念に濃密に施した顔を、鬼乃助さんの真後ろよりあらわしました。ネグリジェとドレスのはざまのような服はさっきとおなじです。さっきの「独りでパジャマ着れるかなぁ?」のメロディが蘇ります。あれは子供向け番組じゃなくって、異色のアダルトビデオだったのかしら?
「……理由はわかんないけど、突然死みたいだね。痛みも苦しみも知らずに。暢気なもんだ。
あと残念だけど、コイツはアンタに会いに来た訳でもない。霊界には霊界の気流ってもんがあんの。わかる? まぁわかんないか。成仏する前に偶偶、ここに流れついただけ。アンタのこともそのメガネザルだかのレコードも憶えちゃいない。ほらほら視なよ、笑えるぐらい何の未練もない顔してるだろ? この世がじゅうぶん面白かったか、それともよほど面白くなかったか、それか」
「尿漏れみてぇにチョロチョロやってんじゃねぇよ!!!!!」
私はカーラーの雉井沢さんの言葉をうすく笑うようにもうすく苛だつようにも映る桃井かおりっぽい表情を遮るように、卓袱台をひっくり返し、鬼乃助さんがいちばん好きだったレコードのフレーズを、B面の4曲目だったかしらん、叫びました。叫んだのなんて、何年ぶりのことでしょう。あの手長猿りんたろうもガリガリな容姿にあわぬ声で、叫んだら喉どころかアバラが全壊しそうな声でシャウトしていましたが、私はそれ以上の波動を無益に発したのでしょうか。グラスが割れ黒く穢らわしい液体が散ったのみならず、桃色モルタル壁にヒビがはしり、天井の端っこがやぶれ、そこからタイとカンボジアとインドとネパールとカナダで買った人形と彫像たちが山ほどおちてきました。私の書きかけの、宛先不明の鬼之助さんへの手紙も、巻物が解けるように垂れてきて。
私の叫びを聴いたのか聴かぬのか、鬼乃助さんは眼も鼻も脣も揺蕩わせたまなざしの儘。いまごろ気づきましたが、鬼乃助さんは壁の桃色をうっすら透かし、子供のようなあやかしのような肌でいるのです。
鬼乃助さんが死んだとして、その理由は何だったのでしょう。肥ったせいでどこかの動脈が切れたのでしょうか。酔っ払って特急の通過するホームにでも落ちたのでしょうか。ヤクザの幹部と顔が瓜二つで間違って銃撃されたのでしょうか。誰かに6色の糸で編まれた15メートルのマフラーで首でも絞められたのでしょうか。誰かにダイエット用のダンベルで殴打されたのでしょうか。誰かに圧すだけで即死するツボでも寸分の狂いなく突かれたのでしょうか。指ではなくストローで。
私はLPレコードを、聴き過ぎてすり減っているだろうけれど、手長猿りんたろうの……大仰に云えば魂の欠片を固めたようなレコードを、板チョコみたく手で、歯で、じぶんとは思えぬ力で割り砕きました。口腔内で甘く苦いチョコレートの味が漂った気配が一瞬するけれど、そんな訳はなく「グゲェ」と吐き出します。それでも鬼乃助さんからそらさず瞬きもせずおそらく渇き充血した眼で、私はレコードを噛み続けます。思い出しました。鬼乃助さんが家に帰らなくなる前にも、私はおなじことをしたのです。鬼乃助さんの真正面で、私たちのBGMだった、ふたりを繋ぐ唯一の絆だった、コードが3つほどしかないバカでも弾けそうな曲、メロディの音数に沿わず適当につめにつめにつめた言葉を、千鳥足で明後日か一昨日の方角へ説教か愚痴をたれる酔っ払いみたいに歌う、わざわざ堕落へ赴き底辺へ沈み血反吐と尿漏れとともに歌う、世界でもっとも無益なレコードを、チョコレートにさえならぬレコードを、永久に聴けぬよう、噛み砕いた。鬼乃助さんがどんな顔をしていたか、私がどんな顔をしていたか、憶えていません。今の私の顔も、鬼乃助さんの眸をのぞきこんだとて、映りません。まして『桃音』と呼んでくれることなんて。
照明ふたつだけのステージにはいま3人いるけれど、もしかして、もしかしなくとも私独りの猿芝居なのでしょうか。そこに満ちているのは、私独りの哀しみでしょうか、怒りでしょうか、呪詛でしょうか、落語のネタにもならないあまりのくだらなさゆえの失笑でしょうか。天井よりおちた人形たち彫像たちは、首や脚が捻れ、もしくは折れたり割れたりしながら、横になったり逆さになったりしていますが、おのおの哀しみも呪詛も怒りも失笑も、解り易くすべての感情を、瀕死の状態で放置された今もまるで私の鏡の如く映しているように視えます。オオアリクイの舌よろしく垂れさがる私の手紙にびっしり書かれた言葉に、私自身にやさしく寄り添うように、もしくは芯からバカにするように。
ふいに部屋をよこぎる白い煙と、よい薫り。赤いカーラーの雉井沢さんが、いつの間にかホット珈琲を淹れ、畳のうえにおいてくださいました。そう、私は夏でもホットなんですの。ふふ。
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